百科事典マイペディア 「ポアティエの戦」の意味・わかりやすい解説
ポアティエの戦【ポアティエのたたかい】
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…フィリップ6世の子。彼の治世は百年戦争の渦中にあって,政治的・社会的混乱はいちじるしく,ポアティエの戦(1356)では,エドワード黒太子のひきいるイギリス軍に敗れ,王自身も捕虜となり,ボルドーからロンドンに連行された。その間,皇太子シャルル(のちのシャルル5世)が摂政となり,フランスが直面する内外の危機の打開につとめた。…
…ガロ・ロマン時代から開けた地。732年カール・マルテルはこの近傍でイスラム教徒を阻止し,また百年戦争初期のポアティエの戦(1356)ではフランス軍がこの地で敗れた。1431年には大学が創設されている。…
※「ポアティエの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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