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ムサーワート党 ムサーワートとう Musavat

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世界大百科事典 第2版の解説

ムサーワートとう【ムサーワート党 Musavat】

1911年ロシア帝国バクーで結成されたアゼルバイジャン民族主義政党。ムサーワートとは〈平等〉の意。1917年以前は〈ムスリム民主党ムサーワート〉といい,実質的には組織政党というより,パン・イスラム主義を唱える機関紙を中心としたグループであった。17年ロシア二月革命後,〈トルコ族連邦主義者党〉(1917年3月結成)との合同を決定,10月の第1回大会で〈トルコ族連邦主義者民主党ムサーワート〉を名のる。

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All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

世界大百科事典内のムサーワート党の言及

【アゼルバイジャン】より

…03年のロシア南部のストライキ,第一革命の序曲となった04年のバクー・ゼネスト,第1次大戦前夜の14年ゼネスト等,バクー労働運動は全ロシアの頂点に立つものであり,全国的な高揚の画期をなす重要な役割を演じた。 1917年首都の二月革命の後,各都市にソビエトと社会団体執行委員会(有産諸団体とソビエト諸団体の連立地方権力)が形成され,さらに民族主義党派ムサーワート党(1911結党)を中心とする民族ソビエトも形成された。臨時政府が置いたザカフカス特別委員会は無力であった。…

【アルメニア】より


[革命政権の樹立]
 1917年ロシアの首都ペトログラードでおこった二月革命の後も,アルメニアは基本的にザカフカス全体の動向の枠内にあり,アルメニア人活動家もティフリス,バクーをその場としていた。首都の十月革命に対してダシナクツチュン,グルジア・メンシェビキ,アゼルバイジャンのムサーワート党等の民族主義諸派は17年11月ティフリスでザカフカス委員部を形成した。そしてトルコ軍の侵攻下に18年4月ザカフカス連邦共和国の独立を宣言したが,帝国主義諸列強の干渉の中で内部矛盾を深め,三つの国に分裂,5月ダシナクツチュンはアルメニアの独立を宣言した。…

※「ムサーワート党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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