日本大百科全書(ニッポニカ) 「バクー」の意味・わかりやすい解説
バクー
ばくー
Баку/Baku
アゼルバイジャン共和国の首都。カスピ海に西岸から突出するアプシェロン半島の南側に位置し、バクー湾に臨む。背後は半円形の丘陵で囲まれている。人口121万4400(2001推計)。アゼルバイジャン語ではバクイБакы/Bakïといい、「風の強い所」の意とされ、北からの強風「ハズリ」が吹く。極端な乾燥気候下にあり、年降水量はわずか200ミリメートル、平均気温は1月3℃、8月26℃。
水陸交通の要衝で、鉄道はロストフ・ナ・ドヌー、トビリシ、エレバン、アスタラなどへ放射状に達しており、港からは対岸にあるトルクメニスタンの都市トルクメンバシ(旧称クラスノボーツク)へ鉄道連絡船が就航する。市内には1967年開通の地下鉄が通じる。バクー油田の中心都市で、精油、石油化学、天然ガス採取、土木建設用機械、石油掘削機、石油プラント施設製造、電子機器、繊維、食品加工など多種の工業部門がある。また、文化施設としては科学アカデミー、総合大学を含む13の高等研究教育機関、ニザミ劇場など6劇場、民俗・民芸などの博物館、美術館がある。11世紀以来の歴史的建造物も多く、14、15世紀のシルバン・シャーの宮殿、11世紀のスイニク・カラのモスクとその尖塔(せんとう)(ミナレット)、12世紀の要塞(ようさい)で悲劇伝説があるクイズ・ガラスイ(乙女の塔)などが知られる。2000年にはバクーの旧市街、シルバン・シャーの宮殿、クイズ・ガラスイは世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[渡辺一夫]
歴史
9~10世紀の文献に、すでに採油が行われ、港が置かれていたことが述べられている。12世紀後半の一時期、シルバン王国の政治的中心地であった。バクーの要塞は15~16世紀にザカフカスで最強であった。1540年サファビー朝の軍隊が、1580年代トルコ軍が、1604年イランが占領した。1747年よりバクー・ハン(汗)国の首都となり、1806年よりロシア帝国領。石油採取によって発展し、20世紀初頭、ロシアの革命運動の中心地の一つとなった。1904年12月ゼネストによって「1905年革命」の口火を切り、13~14年夏、16年12月から17年1月にかけてもストライキが行われ、ツァーリズムを揺るがした。1917年11月ソビエト政権が樹立され、18年4月バクー人民委員会議が創設されたが、これは18年7月に倒された。1920年4月、ムサバトの民族主義政権にかわってソビエト政権が復活し、アゼルバイジャン共和国が形成され、その首都となった。91年ソ連解体でアゼルバイジャン共和国は独立した。
[木村英亮]