三箇南庄
さんかみなみのしよう
丹波国多紀郡に成立した三箇庄(三ヶ庄)の南部の呼称。三ヶ南庄とも記し、毛志庄ともいう。年月日未詳の某書状(民経記寛喜三年一〇月記紙背文書)によると「三ケ庄者惣名也、本庄者北、今号毛志者南庄候」とあり、三ヶ庄は南北に分れ、そのうちの三箇南庄は毛志庄とも称されていた。「祇園執行日記」康永二年(一三四三)一一月九日条の追記頭書によれば、「三ケ南庄使者入部、高越州給之」とみえ、当庄が是法房から高越州(師泰)に給されたとの伝聞の実否確認を依頼された祇園社執行顕詮は、翌日和田江州に尋ね、その事実はないと知らされている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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