日本歴史地名大系 「母子村」の解説 母子村もうしむら 兵庫県:三田市母子村[現在地名]三田市母子乙原(おちばら)村の北に位置し、北は丹波国多紀(たき)郡真南条(まなんじよう)村・小枕(こまくら)村(現篠山市)。三田藩北端の村。北境にある愛宕(あたご)山(六四八メートル)や三国(みくに)ヶ岳(六四八・二メートル)をはじめとした丹波高原の高峰に囲まれる。狭小な谷底平野に集落がある。西部にある灌漑用溜池の母子大池は青野(あおの)川の水源である。戦国期までは丹波国多紀郡に属していたと推定され、同郡に成立した三箇南(さんかみなみ)庄の別称毛志(もうし)庄の遺称地。 母子村ははこむら 千葉県:匝瑳郡光町母子村[現在地名]光町母子芝崎(しばさき)村の東、宮川(みやがわ)村の北に位置する。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳に母子新田とみえ、高一三〇石で芝崎組に属し、幕府領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高一三五石余で、旗本小林領。延享二年(一七四五)の小林領分の野手村外八箇村明細帳(海保氏収集文書)によると、小林氏は寛文一〇年に当村を与えられ、同氏の支配は幕末まで続く。同明細帳によると、延宝八年(一六八〇)に検地が行われ、高一三八石余(うち改出高三石余)、反別は田一六町三反余・畑四町二反余・屋敷三反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報