日本歴史地名大系 「三箇庄・山家庄」の解説 三箇庄・山家庄さんがのしよう・さんがのしよう 福岡県:朝倉郡夜須町三箇庄・山家庄平安時代末期から戦国時代初期にかけてみえる庄園。現三箇山(さんがやま)・櫛木(くしぎ)一帯に比定される。寿永三年(一一八四)四月六日の源頼朝下文案(久我文書/平安遺文八)によると頼朝は池大納言(平頼盛)家領庄園一六ヵ所を安堵しており、そのなかに「八条院御領」として「三箇庄」が含まれている。承久二年(一二二〇)には山城石清水(いわしみず)八幡宮検校祐清と推定される人物から修理別当宝清に、当庄が「私領」として譲与されている(同年一二月日「某譲状」石清水文書/大日本古文書四―一)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by