三重屋庄(読み)みえやのしよう

日本歴史地名大系 「三重屋庄」の解説

三重屋庄
みえやのしよう

高倉天皇の妃七条院殖子から後堀河天皇の皇女室町院への伝領荘園中に肥前国三重屋庄がある。七条院殖子は安貞二年(一二二八)に死去している。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)に「三重屋庄 二百七十五丁五反」と記されている。同じく河上神社文書の正平九年(一三五四)の河上社神役対捍免田畠等注文によれば、「小津東郷三重屋庄内上癸里」に河上神社の勤行料にあてられていた免田一町があることが記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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