三重屋庄(読み)みえやのしよう

日本歴史地名大系 「三重屋庄」の解説

三重屋庄
みえやのしよう

高倉天皇の妃七条院殖子から後堀河天皇の皇女室町院への伝領荘園中に肥前国三重屋庄がある。七条院殖子は安貞二年(一二二八)に死去している。正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)に「三重屋庄 二百七十五丁五反」と記されている。同じく河上神社文書の正平九年(一三五四)の河上社神役対捍免田畠等注文によれば、「小津東郷三重屋庄内上癸里」に河上神社の勤行料にあてられていた免田一町があることが記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 幕府領 ミズ

今日のキーワード

南海トラフ臨時情報

東海沖から九州沖の海底に延びる溝状の地形(トラフ)沿いで、巨大地震発生の可能性が相対的に高まった場合に気象庁が発表する。2019年に運用が始まった。想定震源域でマグニチュード(M)6・8以上の地震が...

南海トラフ臨時情報の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android