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後堀河天皇 ごほりかわてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後堀河天皇
ごほりかわてんのう

[生]建暦2(1212).2.18. 京都
[没]文暦1(1234).8.6. 京都
第 86代の天皇 (在位 1221~32) 。名は茂仁 (ゆたひと) 。高倉天皇の孫,守貞親王 (後高倉院) の第3皇子。母は北白河院陳子 (贈太政大臣藤原基家の娘) 。早くから僧籍にあったが,承久の乱で鎌倉幕府が仲恭天皇を廃したため,承久3 (21) 年7月迎えられて即位した。王朝の権威の維持に努め,また藤原定家に『新勅撰和歌集』を作らせた。陵墓は京都市東山区今熊野泉山町の観音寺陵。

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百科事典マイペディアの解説

後堀河天皇【ごほりかわてんのう】

在位1221年−1232年。後高倉院の皇子。名は茂仁(ゆたひと)。承久の乱後,鎌倉幕府は後鳥羽(ごとば)上皇の皇統を嫌って仲恭(ちゅうきょう)天皇を廃し,茂仁を立てて天皇とした。
→関連項目寛喜新制西園寺公経新長谷寺三村荘

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後堀河天皇 ごほりかわてんのう

1212-1234 鎌倉時代,第86代天皇。在位1221-32。
建暦(けんりゃく)2年2月18日生まれ。高倉天皇の孫。後高倉院(守貞親王)の皇子。母は藤原陳子(のぶこ)(北白河院)。承久(じょうきゅう)の乱ののち,幕府の意向で仲恭天皇が廃され,10歳で即位。僧籍にあった父が院政をおこなう。父の死後は親政をおこない,貞永(じょうえい)元年譲位。天福2年8月6日死去。23歳。墓所は観音寺陵(かんおんじのみささぎ)(京都市東山区)。諱(いみな)は茂仁(ゆたひと)。
【格言など】和歌の浦葦辺のたづのなく声に夜わたる月のかげぞさびしき(「新勅撰和歌集」)

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世界大百科事典 第2版の解説

ごほりかわてんのう【後堀河天皇】

1212‐34(建暦2‐文暦1)
第86代に数えられる天皇。在位1221‐32年。名は茂仁。後高倉院の第3王子。承久の乱に勝利した鎌倉幕府は,後鳥羽上皇の皇統を嫌って仲恭天皇を廃し,すでに僧正仁慶の弟子として十楽院に入室していた茂仁を立てて天皇とした。また,その父後高倉院は,皇位を踏まぬまま異例の院政をしいた。天皇も子の四条天皇に譲位すると,ただちに院政を始めたが23歳で没。京都市東山区今熊野泉山町の観音寺陵に葬る。【杉橋 隆夫】

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大辞林 第三版の解説

ごほりかわてんのう【後堀河天皇】

1212~1234) 第八六代天皇(在位1221~1232)。名は茂仁ゆたひと。守貞親王の子。高倉天皇の皇孫。子の四条天皇に譲位後、院政を行う。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後堀河天皇
ごほりかわてんのう
(1212―1234)

鎌倉初期の天皇(在位1221~32)。名は茂仁(ゆたひと)。後鳥羽(ごとば)天皇の兄守貞(もりさだ)親王の第3子。母は藤原基家(もといえ)の娘北白河院(きたしらかわいん)陳子。1221年の承久(じょうきゅう)の乱後、仲恭(ちゅうきょう)天皇が廃されたあと、親幕派の西園寺公経(さいおんじきんつね)の推挙と幕府の支持により還俗(げんぞく)させられて即位。このとき、父守貞はすでに出家しており(行助法親皇(ぎょうじょほうしんのう))、かつて皇位についたこともなかったが、後高倉院(ごたかくらいん)として異例の院政を開始した。後堀河は32年、2歳の子に譲位し(四条(しじょう)天皇)、自らも院政を行った。天福(てんぷく)2年8月6日死去。墓は京都市東山区今熊野泉山(いまくまのいずみやま)町の観音寺陵。[川島茂裕]

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367日誕生日大事典の解説

後堀河天皇 (ごほりかわてんのう)

生年月日:1212年2月18日
鎌倉時代前期の第86代の天皇
1234年没

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世界大百科事典内の後堀河天皇の言及

【新勅撰和歌集】より

…歌数1374首。1232年(貞永1)に後堀河天皇の勅により編纂に着手したが,上皇の他界を悲しみ稿本を焼却したり,再度の作業過程中にも,対幕府関係をおもんばかる関白道家・教実父子の意向により100首余(おそらく後鳥羽院らの歌)を切り出すなどの経緯を経て,35年(嘉禎1)成立。定家執筆の仮名序には,勅撰集のあるべき姿への信条を読み取れるが,内容的には,俊成,良経,家隆,西行ら新古今歌人以外,親幕派の公家藤原道家,西園寺公経や源実朝,北条泰時ら武家の歌が多く,〈宇治川集〉の異名を得たり,承久の乱関係者の歌が除かれるなどの面があった。…

※「後堀河天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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