現在
「肥前風土記」の佐嘉郡に、地名起源の話に続いて
とある。この世田姫が「延喜式」神名帳にある与止日女神社と同一神と考えられている。同神名帳には肥前国四座の一つとして
「三代実録」貞観二年(八六〇)二月八日条に「田島神」「荒穂天神」と並んで「予等比大神」が従五位下の神階を与えられたのがみえる。当時は
河上神社文書の嘉応二年(一一七〇)の留守所の下文に「当社者是為当国第一之鎮守」とあり、同じく正応五年(一二九二)の関東御教書には「肥前国一宮河上神宮」と明記されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
佐賀県佐賀市川上の川上川右岸に鎮座。旧県社。祭神は与止比女(よどひめ)神。佐賀平野の重要な水源をなす川上川が洪積山地から沖積平野に出る位置にあり,本来はこの地方の農業神であろう。国府に近く,古来国司の崇敬が厚く,《延喜式》では国幣小社とされ,平安後期には肥前一宮となり,その造営は一国平均役によってなされることになった。1076年(承保3)国司橘俊清の任中,仁王般若講免田3町が寄進されたのをはじめ,代々の国司や在庁官人による講経免田や修理免田の寄進が相次ぎ,鎌倉中期には約300町に達した。しかし大部分が佐嘉郡内に散在する小規模免田ないしは浮免田(うきめんでん)であって,一円荘を形成するにはいたらず,その収取も国衙機構に依存していた。室町期には千葉氏や竜造寺氏の尊崇を受け,江戸時代鍋島氏は社領200石を安堵した。江戸時代のはじめには,千栗八幡宮との間に60年におよぶ一宮相論を展開した。
執筆者:工藤 敬一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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…山麓を九州横断自動車道が通り,佐賀大和インターチェンジがある。川上川の渓谷は景勝川上峡として知られ,河畔にある河上神社(淀姫神社)は式内社与止日女(よどひめ)神社に比定され,肥前国一宮として崇敬された。その西にある実相院は,中世には河上神社の社務をつかさどった。…
※「河上神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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