日本歴史地名大系 「上米内村」の解説 上米内村かみよないむら 岩手県:盛岡市上米内村[現在地名]盛岡市上米内中津(なかつ)川の支流米内川の中流域に位置し、南に高洞(たかぼら)山(五二二メートル)、北に明神(みようじん)山(七四六メートル)がそびえる。村内を小本(おもと)街道(野田街道)が通る。南は下米内村、北は川又(かわまた)村・藪川(やぶかわ)村(現岩手郡玉山村)。戦国期より米内村は一方井氏の支族米内氏の領地とされ(岩手県史)、江戸初期以降に当村と下米内村に分村している。「邦内郷村志」には上米内村とみえ、蔵分一五二石余、馬一〇〇。享和三年(一八〇三)の仮名付帳では家数七七、うち本村は四一、枝村は白石(しろいし)六・小浜(こはま)三・庄(しよう)ヶ畑(はた)二七。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by