下大牧村(読み)しもおおまきむら

日本歴史地名大系 「下大牧村」の解説

下大牧村
しもおおまきむら

[現在地名]八開村下大牧

東は赤目あかめ村、西は木曾川に面する村。「徇行記」によれば、概高四〇八石余のうち三六二石余は藩士七人の給知。田は一二町八反六畝余、畑は二〇町五反八畝余。「寛文覚書」に戸数四七、人数二三九とある。「徇行記」は「村立ハ大体ヨキ所ナリ、福田準縄トイヘル医師富戸ニテ高二百五十石ホトモ持、先代ハ名ヲ孫市ト唱ヘ庄屋ヲツトメタル家ナル由、其余ハ皆小百姓多ケレトモ高平均ノ所ナルカ為差貧民モナシトナリ、此辺地高ニシテ田面水潦ノ深タマリモナシ」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む