ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
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…駅家は,伊勢国の榎撫(えなつ)駅につづいて,馬津・新溝(にいみぞ)・両村(ふたむら)の3駅が設けられ,三河国の鳥捕(ととり)駅がこれにつながる。《掌中歴》には,尾張国の田積1万1940町とあるが,8世紀の中ごろには木曾川の大洪水による多大の被害があったことが記録されている。木曾川の河道問題は,美濃国の利害とも密接に関連していたから,両者の対立も時には深刻であった。…
…江戸中期,木曾川下流の葦生地に開かれた町人請負新田。新田名は開発者の姓を冠したもの。…
…徳川家康が1601年(慶長6)に東海道を制定したとき,尾張国宮(熱田)宿と伊勢国桑名宿の間は海上を七里渡と決め,これを官道とした。伊勢湾を陸路で迂回すると,木曾川,長良川,揖斐川の木曾三川があるためである。熱田宿築地町と桑名宿東船馬町にそれぞれ船会所があって渡船数十艘を常備するほか,潮流の関係で海辺が干潟になった場合に備えて小渡船も用意していた。…
…江戸中期,宝暦年間(1751‐64)に薩摩藩が幕府の命で木曾三川(木曾川,長良川,揖斐川)治水工事を行った際,引責自刃など多数の犠牲者を出した事件。1753年藩主島津重年は御手伝普請を命ぜられるや家老平田靱負(ゆきえ)を惣奉行に任命し,上下1000人近い役人を現地に派遣して工事に当たらせた。…
…戦国時代,蓮如がでるにおよんで天台・真言などの諸寺で改宗するものも多く,またあらたに道場が開設されるなどして,その教線は飛躍的に拡大した。この真宗伝播の過程はまず木曾川,揖斐川,長良川などの下流地域に,ついで郡上,揖斐郡などの山間部,さらに平野部へという経路をとっている。【勝俣 鎮夫】
【近世】
[近世前期の領主]
美濃国の近世は,織田信長が稲葉山城(岐阜城)と,その麓の井ノ口改め岐阜城下町とを拠点にして,〈天下布武〉への一歩を踏み出した16世紀後半からはじまる。…
※「木曾川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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