朝日日本歴史人物事典 「中原仲業」の解説
中原仲業
鎌倉前期の幕府吏僚。鎌倉幕府に参じた京下り官人で,建久2(1191)年前右大将家政所開設記事の公事奉行人項に名がみえる。中原親能の家人であり,前年の源頼朝上洛をきっかけに下向したのであろう。主に文筆をもって仕え,政所職員として政所発給文書の執筆,地方巡検の使節などを務める。頼朝以降も政所に伺候,頼家の政所始には吉書を清書し,実朝期には問注所寄人も兼ねる。正治1(1199)年の御家人による梶原景時弾劾事件では,文筆に秀で,かつ景時に遺恨を抱く者として仲業に訴状の執筆が依頼され,彼もまた宿意を達せんと筆作に励んだ。さらに訴状を衆中で読み上げ,その名文句が感心されたという。
(奥田環)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報