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中原仲業 なかはらの なかなり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

中原仲業 なかはらの-なかなり

?-? 鎌倉時代の幕府官僚。
明法(みょうぼう)博士中原親能(ちかよし)の家臣から源頼朝の右筆(ゆうひつ)となる。建久6年(1195)貢馬奉行人をつとめ,元久元年鎌倉永福寺の公文職(くもんしき)。のち政所寄人(まんどころよりゅうど)となり,問注所寄人をかねた。正治(しょうじ)元年三浦義村の依頼により梶原景時(かげとき)の訴追状を起草している。

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朝日日本歴史人物事典の解説

中原仲業

生年:生没年不詳
鎌倉前期の幕府吏僚。鎌倉幕府に参じた京下り官人で,建久2(1191)年前右大将家政所開設記事の公事奉行人項に名がみえる。中原親能の家人であり,前年の源頼朝上洛をきっかけに下向したのであろう。主に文筆をもって仕え,政所職員として政所発給文書の執筆,地方巡検の使節などを務める。頼朝以降も政所に伺候,頼家の政所始には吉書を清書し,実朝期には問注所寄人も兼ねる。正治1(1199)年の御家人による梶原景時弾劾事件では,文筆に秀で,かつ景時に遺恨を抱く者として仲業に訴状の執筆が依頼され,彼もまた宿意を達せんと筆作に励んだ。さらに訴状を衆中で読み上げ,その名文句が感心されたという。

(奥田環)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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