日本歴史地名大系 「乙連郷」の解説 乙連郷おとつれごう 栃木県:真岡市下籠谷村乙連郷一五世紀中頃の大般若経奥書(熊野神社蔵)に「宇都宮東真壁庄乙連中里」とみえ、大内(おおうち)庄内箕輪(みのわ)寺の大般若経を亮慶が当地で書写した。永正九年(一五一二)九月一一日、芳賀高孝は伯父花隠(養父芳賀景高)供養のため、郷内の如意院給分を宇都宮成高(じようこう)寺に寄進している(「芳賀高孝寄進状写」寺社古状)。同一一年一二月にも高孝は道春(芳賀景高)の供養のため、郷内の如意院給分を寄進したうえ、宇都宮社の頭役と流鏑馬銭を除き諸公事を停止している(「芳賀高孝諸公事免許状写」同書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報