ゆい‐せき【遺跡】
〘名〙
※
平家(13C前)七「かれはむかしのゆい跡也、家のため、
栄幸をおもふ」
②
故人ののこした
領地、
官職など。
遺領(ゆいりょう)。また、それを相続する後嗣。
跡目(あとめ)。いせき。
※車屋本謡曲・
春栄(1435頃)「別れし我子のかたみと思ひ、
一家の遺跡名字を譲り申す也」
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デジタル大辞泉
「遺跡」の意味・読み・例文・類語
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遺跡
つじいせき
[現在地名]立山町辻 西吉原
栃津川と白岩川に挟まれた扇状地末端の湧水地帯、標高二一―二四メートルに位置。昭和六一年(一九八六)から平成二年(一九九〇)にかけて三次の発掘調査が行われた。その結果、弥生時代後期から古墳時代初頭・奈良時代前半・鎌倉時代を中心とする遺跡であることが判明した。弥生時代から古墳時代初頭の遺構としては南北四・三メートル、東西三・五メートルの隅丸長方形の竪穴住居跡一棟、土壙墓の可能性のある穴、溝などが検出された。遺物は土師器、石器(砥石・台石・翡翠原石)、土製品(紡錘車・石包丁様製品)などがある。土器はまとまって出土するものと、摩滅の著しいものがある。
遺跡
つじいせき
[現在地名]栗東町辻
高野・岩畑両遺跡の北、野洲川南岸平地に古墳時代前期から奈良時代にかけて営まれた集落遺跡。昭和五八年(一九八三)からの発掘調査で三〇〇棟に及ぶ竪穴住居跡と三〇棟以上の掘立柱建物跡が検出されており、古墳時代前・後期を通じて、二つほどの単位集団が数時期にわたり小移動を繰返しながら生活を営んでいたようである。さらに古墳時代後期以降とみられる柵、あるいは塀を伴った掘立柱建物跡五棟も発見されており、古墳時代から奈良時代にかけてのムラの変遷が把握できる。また後期の竪穴住居跡から多量の有孔円板や臼玉などの滑石製品と、これら製品の原石や製作途中の未完成品、製作に使う砥石などの道具類が出土した。
遺跡
つじいせき
[現在地名]豊岡市辻 下畑
奈佐川の最奥部、標高四〇メートル前後の段丘上に立地。縄文時代早期後半・中期後半―後期中頃に至る集落跡で、最盛期は後期。古くから遺物の採集が行われていたが、昭和五六年(一九八一)に遺跡西方部の確認調査が実施された。この調査では遺構の発見はなかったが、遺跡の範囲は東西約二五〇メートル・南北約一〇〇メートル程度と想定される。出土土器は前期の押型文、後期の中津式・福田KII式などがある。
遺跡
たこいせき
[現在地名]松阪市殿村町 蛸
殿村町から大足町に至る農道の北脇、堀坂川や坂内川などの中小河川によって形成された標高一四メートルほどの氾濫平野にある弥生時代の遺跡。遺跡の広がりは確認されていない。
遺跡
たるいせき
[現在地名]赤城村樽
利根川と吾妻川の合流点左岸、赤城山西麓の末端台地に位置する。南部を赤城山からの小渓が流れ利根川に合流。昭和一三年(一九三八)、一四年の二回、発掘調査が行われた。遺跡は山麓でも平坦地にあり約一千平方メートルの小範囲である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
遺跡
いせき
過去の人間の残した物的資料、または人間の活動の結果を示す物的資料からなり、その存在する土地と不可分な関係にある単位空間を遺跡とよぶ。一般に遺跡と認められるものは、地上に築かれ、あるいは大地に穿(うが)たれた遺構の存在であるが、たとえば沈没船のようにそれ自体は遺物ともいえるものでも、その発見された場所が意味をもつ場合にはこれも遺跡とみなされる。遺跡には、住居跡、工房跡、水田跡、貝塚、墳墓寺院跡、都城跡などの種類がある。それらは単独で遺跡となる場合もあるが、ある人間集団の生活空間を表すものとして、そのいくつかが組み合わさったものであり、それらをあわせて一つの遺跡と認識する必要がある。なお遺跡に類似することばに遺物散布地がある。単に遺物の散布自体は、かならずしも人間の活動の結果によるものだけでなく、洪水などの自然現象によるものもあるが、それは近くに遺跡の存在する徴候であり、遺跡と同様に扱われる。
[植山 茂]
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いせき【遺跡】
地上または地下にとどめられている過去の人間活動の痕跡が,考古学研究の史料や文化財保護の対象となった場合,それらは遺跡とよばれる。類似した人間活動による痕跡であっても,研究や保護の対象にならないものは遺跡に含まれない。たとえば,弥生時代の水田跡とそこで検出された足跡は遺跡を構成するが,現代の休耕田や足跡を遺跡とすることはない。また,江戸時代の武家屋敷跡が遺跡とされることはほとんどないが,同時代の社寺跡は研究や保護の対象となり,遺跡にいれられることが少なくない。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
遺跡
いせき
site
過去の人間の活動の跡が残されていることが確認できる場所。具体的には遺構もしくは遺物が残されている場所ということになるが,その規模は数点の土器しか発見されない小さな遺跡から,数 km2に及ぶ広い場所からさまざまな遺構が出土し,それに伴う遺物が大量に出る遺跡まで各種のものがある。またその性格も,古墳のように目立つ場所につくられるものから,埋納遺跡のように隠すことが重要となる遺跡までさまざまである。
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遺跡
いせき
人類の行為の痕跡が遺構や遺物として地上や地下・水底などに残されているところをいう。その性格によって生活遺跡,生産遺跡,墳墓遺跡,祭祀・信仰遺跡,政治関連遺跡などにわけられ,また存在している状態によって開地遺跡・洞窟(岩陰)遺跡・泥炭層遺跡・水底遺跡などに分類される。考古学的調査・研究の最も基礎的な資料であるとともに,人類の歴史を再構成するために必要なもので,人類共有の文化財として重視される。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
遺跡【いせき】
過去の人類がつくり出した道具などの可動的なものを遺物といい,住居や墓などの非可動的なものを遺構という。この遺物と遺構の総体である,過去の人類の活動の痕跡が残っている所を遺跡という。
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遺跡
昔の人が残した痕跡のなかでも、地下にあって、動かすことができないものを言います。住居の跡や古墳・貝塚[かいづか]などがあります。
出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報
普及版 字通
「遺跡」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
世界大百科事典内の遺跡の言及
【遺構】より
…遺構は遺物とともに遺跡を構成する。動産的な性格をもつ遺物に対して,遺構は過去の人間活動の所産で,特定の土地に結びついた不動産的な性格を備えたものといえよう。…
【考古学】より
…考古学は古い時代のみを研究する学問と考えられがちであるが,その取り扱う時代範囲にはなんらの制限もない。実際に北海道では明治期の開拓使関係の遺跡のような新しい遺跡の発掘も行われている。 考古学の属する上位の学問区分については,歴史学とする立場と人類学とする立場とがある。…
【史跡】より
…一般には,遺跡と同義で,明治時代末期以降現在でもその意味で使用されていることが多いが,1919年の〈史蹟名勝天然紀念物保存法〉以降は,遺跡のうち,特に法律にもとづいて指定保護されているものを指すようになり,現在では狭義の史跡は,国宝,重要文化財,名勝,天然記念物などとならぶ,文化財の種別の一つとなっている。 法律による史跡保護の制度は,〈史蹟名勝天然紀念物保存法〉により重要な遺跡の史跡指定と,その破壊や現状変更に対する規制その他の制度が定められたのを初めとし,50年,文化財保護法に制度の基本が引き継がれ,現在に至っている。…
【発掘】より
…一般に土中その他に埋没して直接見ることのできない状況におかれている物件を,実見しうる状況に露出する行為をいうが,とくに遺跡において,考古学者が遺構や遺物を検出する作業行為を指すことが多い。ただしそのうちで,土地等を掘削する行為のみを発掘と呼ぶこともある。…
【文化財】より
… これらと性質を異にする文化財に埋蔵文化財がある。文化財の性質による種類ではなく,埋蔵文化財とは,地下,水底,海底(領海内に限る)その他,土地の上下を問わず人目に触れない状態において所在している遺跡,さらにそこから発掘によって出土した遺物の両様の意味に用いる。遺跡のうち,全国で国および地方の台帳に登録されたものを〈周知の遺跡〉と呼び,遺跡分布図,地名表などが公刊されて周知徹底が図られている。…
【埋蔵文化財】より
…1950年に施行された文化財保護法にみえる概念で,考古学でいう遺構と遺物をほぼ指しているとみてよい。その所在地は埋蔵文化財包蔵地と呼ばれ,おおよそ考古学の遺跡に相当する。ただし,施行当初の同法では,埋蔵された有形文化財すなわち遺物にあたるもののみに限定されており,現在のように遺構や遺跡にも関連する用語になったのは54年の同法改正による。…
※「遺跡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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