大内(読み)オオウチ

デジタル大辞泉 「大内」の意味・読み・例文・類語

おおうち【大内】[姓氏]

姓氏の一。
[補説]「大内」姓の人物
大内青巒おおうちせいらん
大内兵衛おおうちひょうえ
大内義興おおうちよしおき
大内義隆おおうちよしたか
大内義弘おおうちよしひろ

だい‐だい【大内】

《古くは「たいだい」とも》「大内裏だいだいり」の略。おおうち。
「―の旧跡、神祇官の前なる樗の木に」〈太平記・九〉

おお‐うち〔おほ‐〕【大内】

皇居。内裏。天皇の御所。大内山

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精選版 日本国語大辞典 「大内」の意味・読み・例文・類語

おお‐うちおほ‥【大内】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 皇居の異称。内裏。禁中。宮中。大内山。
    1. [初出の実例]「天王、昆支王の五(いつとり)の子の中に第二(ふたりにあたる)末多王の年幼(わか)く聰明(さと)きを以て勅して内裏 大内 に喚(め)す」(出典:日本書紀(720)雄略二三年四月(前田本訓))
  3. 貴族の邸宅。
    1. [初出の実例]「傾城とやらくるわとやら大内にはめづらしき、三味線の一曲を常常のお望故」(出典:浄瑠璃・嫗山姥(1712頃)二)
  4. おおうちびな(大内雛)」の略。
    1. [初出の実例]「白酒の無い大内は玉の汗」(出典:雑俳・柳多留‐二三(1789))
  5. 入口がせまく、内の広いこと。
    1. [初出の実例]「吾は狭き地と謂(おも)ひしに、此は乃ち大内(おほうち)なるかも」(出典:播磨風土記(715頃)揖保)

だい‐だい【大内】

  1. 〘 名詞 〙 ( 古くは「たいだい」か ) 「だいだいり(大内裏)」の略。〔色葉字類抄(1177‐81)〕
    1. [初出の実例]「大内(タイダイ)の旧跡、神祇官の前なる、樗木にぞ留りける」(出典:太平記(14C後)九)

おおちおほち【大内】

  1. 香川県の東端にあった郡。明治三二年(一八九九)寒川(さんがわ)郡と合併して大川郡となる。

おおうちおほうち【大内】

  1. 姓氏の一つ。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大内」の意味・わかりやすい解説

大内(香川県)
おおち

香川県東部、大川郡にあった旧町名(大内町(ちょう))。現在は東かがわ市の北西部を占める一地区。1954年(昭和29)誉水(よみず)村、丹生(にぶ)村が合併して町制施行。1955年播磨灘(はりまなだ)に臨む三本松町と合併。2003年(平成15)引田(ひけた)町、白鳥(しろとり)町と合併し、市制施行して東かがわ市となる。旧大内町は与田川、番屋川が流れ、三本松は讃岐(さぬき)三白(綿、塩、砂糖)の一つである砂糖の集散地、積出し港として発展。東讃の中心となり、紡績、製薬、窯業、手袋製造が盛んである。JR高徳線と国道11号が通り、高松自動車道の白鳥大内インターチェンジがある。絹島および丸亀島の海岸に発達する柱状節理は国の天然記念物。また与田寺、水主(みずし)神社、中世末期の虎丸(とらまる)城跡などの文化財も多い。

[新見 治]

『『誉水村誌』(1972・同書編集委員会)』『『大内町史』全2冊(1985・大内町)』


大内(秋田県)
おおうち

秋田県南西部、由利郡(ゆり)にあった旧町名(大内町(まち))。現在は由利本荘(ほんじょう)市の北東部を占める地域。旧大内町は、1970年(昭和45)町制施行。2005年(平成17)本荘市および矢島(やしま)、岩城(いわき)、由利、西目(にしめ)、鳥海(ちょうかい)、東由利の6町と合併して、由利本荘市となった。JR羽越本線と国道105号が通じる。笹森(ささもり)丘陵に位置し、子吉(こよし)川の支流芋(いも)川が町内を蛇行し、その流域で米作主体の農業が行われる。大内メロンを特産し、黒和牛の大内牛は京都方面へ出荷される。江戸時代は亀田(かめだ)藩領であった。芋川上流に藩政中期に発見されたという滝温泉がある。

[宮崎禮次郎]

『『大内村郷土誌』(1968・大内村)』『『大内町史』(1990・大内町)』

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百科事典マイペディア 「大内」の意味・わかりやすい解説

大内[町]【おおうち】

秋田県南西部,由利郡の旧町。1970年町制。旧本荘市に隣接し,山林が広い。ササニシキなどの米を産するほか,電子素材などの工場もある。主集落は西端の岩谷(いわや)で,羽越本線が通じる。2005年3月本荘市,由利郡矢島町,岩城町,由利町,西目町,鳥海町,東由利町と合併し市制,由利本荘市となる。181.71km2。9788人(2003)。

大内[町]【おおち】

香川県東部,大川郡の旧町。主集落は高徳線が通じる三本松で,多くの手袋工場がある。製薬,機械などの企業も立地。絹島および丸亀島(天然記念物)がある。2003年4月,引田町,白鳥町と合併して東かがわ市となる。34.42km2。1万6161人(2000)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大内」の意味・わかりやすい解説

大内
おおうち

秋田県南西部,由利本荘市北東部の旧町域。笹森丘陵北部,子吉川の支流芋川の中・上流域を占める。 1956年岩谷村,上川大内村,下川大内村の3村が合体して大内村となり,1970年町制。 2005年本荘市,矢島町,岩城町,由利町,東由利町,西目町,鳥海町と合体して由利本荘市となった。芋川流域には河岸段丘が発達,米作が行なわれる。山林原野が多く,黒毛の大内牛の産地。

大内
おおち

香川県東部,播磨灘に臨む大川平野東部の地域。旧町名。天然記念物の絹島と丸亀島を含む。 1954年誉水村と丹生村が合体して町制。 1955年三本松町と合体。 2003年引田町,白鳥町と合併し東かがわ市となった。中心集落の三本松は県東部の商業,政治,文化の中心地。手袋製造のほかに製紙,紡績,製糖などの工場がある。周辺部では稲作が中心で,果樹も栽培。沿岸部でノリを養殖。釈王寺,与田寺,水主神社などの古社寺がある。中部の番屋川沿岸では豪雨による浸水が多い。地域北部を JR高徳線と国道 11号線が通る。また,長尾街道が国道 11号線に合流する。

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改訂新版 世界大百科事典 「大内」の意味・わかりやすい解説

大内 (おおうち)


大内 (おおち)

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普及版 字通 「大内」の読み・字形・画数・意味

【大内】だいない・だいだい

宮中。

字通「大」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の大内の言及

【皇居】より

…天皇の住居。古くは宮,宮室,内裏,禁裏,禁中,禁闕,内,御所などのほか,大宮,大内,九重,百敷(ももしき)などの美称もあり,〈皇居〉の語も平安時代には記録に見える。東京遷都に際し,江戸城を東京城と改称,ついで皇城と公称したが,明治宮殿完成後は宮城を公称と定めた。…

【内裏】より

…古代都城の宮内の中心部分,天皇の居住場所をさしていう。〈おおうち(大内)〉〈うち〉ともいった。平安宮では,南北100丈(約303m),東西70丈(約212m)の区画をもち,北半分の後宮部分と南半分の天皇の常住区郭とに分かれ,両者の間は瓦垣でへだてられ,一応区別されていた(図)。…

【下郷[町]】より

…米作,葉タバコの栽培を中心とした農業から,近年はリンドウ等花卉の生産が増えている。町の北端にある大内は,近世には会津西街道の宿駅で,1884年の会津三方道路の開通により衰えたが,現在も宿場の町並みがよく保存されている。天然記念物の塔の岪(へつり),中山風穴地特殊植物群落,重要文化財の旭田寺観音堂などがあり,阿賀川沿いには湯野上温泉,大川ダム下郷発電所がある。…

【里内裏】より

…平安宮の外に平安京街に設けられた皇居。今内裏,里亭皇居,里内(さとだい)などの称もあるが,とくに大内(だいだい)と併称して里内の称が多く用いられた。 960年(天徳4)平安内裏がはじめて焼亡すると,村上天皇は累代の後院(ごいん)(離宮の一種)である冷泉(れいぜい)院に移ったが,976年(貞元1)ふたたび内裏が焼失し,円融天皇は太政大臣藤原兼通の堀河第に移って約1年間これを皇居とした。…

※「大内」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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