二子塚新田村(読み)ふたごづかしんでんむら

日本歴史地名大系 「二子塚新田村」の解説

二子塚新田村
ふたごづかしんでんむら

[現在地名]中島村二子塚・中島

阿武隈川北岸に位置する。寛永一〇年(一六三三)白河藩主丹羽長重は年貢増徴のため新田・開田政策を打出し、二子塚村に新田を開き分村して二子塚新田村とした。新田開墾に出た人数は作重郎など二四人で、持高は一一〇石であった(中島村史)。慶安三年(一六五〇)白河藩主本多忠義は領内検地を行い、五割増の高一六六石余と定めた(白河古領村郷高帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 中島村史 耕地

政府首脳が外国を訪問した際の会談内容や合意事項を記した外交文書。法的拘束力は持たないが,その内容は両国を事実上拘束する。類似のものに共同発表 joint statementがあるが,これはより記録的な...

共同声明の用語解説を読む