日本歴史地名大系 「中島村」の解説
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
- 愛知県:岡崎市
- 中島村
旧
「神鳳鈔」の河内御薗一三町五反余の地という(明治村史)。伊勢神宮との関係は「三河志」の
中島村
なかしまむら
現御津町の北端に位置し、揖保川から
中島村
なかじまむら
文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高五五〇石。
中島村
なかじまむら
- 栃木県:小山市
- 中島村
鬼怒川西岸の沖積地に位置し、
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 高知県:土佐市
- 中島村
同地検帳によれば、近世の中島村に該当する地域の総検地面積二七町九反余。
中島村
なかじまむら
- 京都市:伏見区
- 中島村
北・東は
鳥羽街道沿いにあった中島村は、近世馬借を業とするものが多かった。京都御役所向大概覚書に
と記される。
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
天正一〇年(一五八二)九月一日、前田利家が当地の与一に宛てた印判状写(能登国古文書)には「熊木村与一」となっており、以後四代までの十村扶持状にいずれも熊木村とみえる(「加能越里正由緒記」金沢大学蔵)。この頃は上町村とともに熊木と称されることもあり(能登志徴)、正保郷帳によれば中島村の高七七八石余、田方三六町四反余・畑方一五町四反余。
中島村
なかしまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 兵庫県:高砂市
- 中島村
中島村
なかじまむら
- 京都市:右京区
- 中島村
北は谷山、西は
集落の西側高雄山麓には和気清麻呂の子真綱が天長元年(八二四)河内の
中島村
なかしまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかしまむら
天正一七年(一五八九)の野禰村地検帳によると、二一町三反余のうち、畠が四町七反余、しかし荒分が三町六反余もあって、屋敷地を差引くと耕作可能な水田は全体の五四パーセントにすぎない。天明七年(一七八七)の野根郷中村別本田改(北川家文書)では、本田七町五反二九代一歩で、額面石高の三分の一強にすぎない。その後四町七反余が「尓来永荒」(「奉願口上覚」同文書)とされていたが、天保四年(一八三三)の地押の際「丸地境混じ合居候ニ付、御詮義之上打崩被仰付」再調査の結果二町八反余の出地を生じ、荒起を命じられ八石五斗余の貢物増を招いている(「因果物語」同文書)。
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 福島県:西白河郡
- 中島村
阿武隈高地と那須山地に挟まれた中通り南部、南から東を阿武隈川が流れ、村内を
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
- 兵庫県:小野市
- 中島村
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
- 埼玉県:幸手市
- 中島村
中島村
なかしまむら
- 愛知県:一宮市
- 中島村
美濃路が村の中を通り、並木が五〇八間にわたって茂っている。萩原村の東南、北は
中島郡の郡名発生の地と考えられる。天平六年(七三四)中島氏の祖とみられる郡司中島連東人(尾張国正税帳)以来、中島氏はここを本拠とし、在庁官人として国府において地方行政を担っていたとみられる。鎌倉末期には大介職として惣領家の地位を築き、居館や広大な耕地を所有した。
中島村
なかじまむら
- 福井県:大野市
- 中島村
中島村
なかしまむら
- 大分県:日田市
- 中島村
中島村
なかじまむら
東は福田村、中央を
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
北は水原村、南は下金田村。慶長三年(一五九八)頃の新発田藩の御領内高付帳(新発田市史資料)に四五四石六斗八升とあり、同一〇年の給知方村々高目録(同資料)には毛付二二三石七斗八升四合、荒四五〇石五斗三合と記される。正保国絵図には二四〇石余とあり、寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳には高二四七石四斗余とある。同七年と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)では岡方組の分田組に属し、家数二七・人数一三六とある。享保一九年(一七三四)には干害のため
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかのしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 長野県:須坂市
- 中島村
現須坂市西部。東部は
慶長三年(一五九八)の「御検地水帳写、信州高井郡井上村ノ内中島村」(堀内六兵衛氏蔵)に「井上村ノ内中島村」とあり、井上村の枝村である。
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
- 高知県:南国市
- 中島村
延元二年(一三三七)八月一七日の懐良親王令旨(集古文書)にみえる「富崎別符」は当村域に比定され、この地の下司職を高野山堂衆に配分、知行すべきよう指示している。
中島村
なかじまむら
天竜川下流東岸に位置し、南は
中島村
なかじまむら
- 神奈川県:小田原市
- 中島村
東北境を
近世は小田原藩領。
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
- 山形県:尾花沢市
- 中島村
中島村
なかしまむら
中島村
なかしまむら
- 兵庫県:小野市
- 中島村
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
- 広島県:東広島市
- 中島村
村高は元和五年(一六一九)には二八三・三八八石で(安芸国知行帳)、宝暦一〇年(一七六〇)五石余の新開が高付されて二八八・七八八石となった(明治三年「郷村高帳」広島大学蔵)。
中島村
なかじまむら
- 神奈川県:茅ヶ崎市
- 中島村
相模川の河口にあり、西南の一隅に
天正一九年(一五九一)旗本山岡景長への知行宛行状(県史八)に「八拾石四斗 中嶋之郷」とある。近世を通じ山岡領。山岡陣屋跡と伝えられる所をトノヤシキとよんでいる。天和三年(一六八三)大通行に際し当村にかかる東海道一九九間分の掃除・普請を課された(「東海道宿村道場間数高書帳」大和市史四)。相模川氾濫時にはたちまち家屋耕地を浸し、また古相模川には堤防もなく多年水災に苦しんだという(皇国地誌)。北の
中島村
なかしまむら
北は北中島村、東は
慶長国絵図に村名がみえる。矢部手永に属し正徳四年(一七一四)から一時期中島手永に属したが、のち旧に復した。南中島村とも称し、小村として「国誌」は嶺(峯)村・福良村・松ノ生村・小樫(柏)原村・暮瀬村・
中島村
なかじまむら
- 群馬県:藤岡市
- 中島村
北境を
中島村
なかしまむら
- 熊本県:熊本市
- 中島村
白川河口近くの左岸低地にあり、南は
中島村
なかしまむら
- 和歌山県:有田市
- 中島村
中島村
なかしまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 愛知県:尾西市
- 中島村
西は小信村と
中島村
なかのしまむら
- 富山県:滑川市
- 中島村
中島村
なかしまむら
- 福岡県:筑後市
- 中島村
中島村
なかしまむら
- 鳥取県:米子市
- 中島村
中島村
なかのしまむら
- 島根県:出雲市
- 中島村
斐伊川氾濫原中の数個の島であったと思われるが、水害に苦しみ、住民の大半は
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
- 静岡県:三島市
- 中島村
中島村
なかしまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
- 栃木県:宇都宮市
- 中島村
北は
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
現池田町中部の段丘上に位置し、
中島村は江戸時代初頭は池田郷に属していたが、寛永一五年(一六三八)から同一九年の間に作られたとみられる信州松本御領分村々高附帳に「高四百四拾三石五斗六升六合 中島村」と初見されるが、集落の発生は古田の存在からみて非常に古いと判断される。
中島村では慶安三年(一六五〇)に松本藩の検地が施行されたが、その検地帳(矢口文左衛門氏蔵)によるとこの村の水田の石盛は上田二石二斗となっていて、池田町村に次いで高年貢率となっている。このことは、この地域の水田はいずれも耕土が深く、地味も豊かであることを示しており、
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 静岡県:掛川市
- 中島村
中島村
なかじまむら
- 千葉県:銚子市
- 中島村
中島村
なかしまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 埼玉県:浦和市
- 中島村
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
- 石川県:加賀市
- 中島村
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 和歌山県:橋本市
- 中島村
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 群馬県:高崎市
- 中島村
利根川右岸崖際に位置し、東は
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 兵庫県:三木市
- 中島村
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
- 埼玉県:越谷市
- 中島村
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
- 愛知県:一宮市
- 中島村
木曾川の東側にあって、北・東・西の三方を北方村に囲まれ、宮田用水の恩恵にあずかる中型農村。天保村絵図では概高三五七石余は藩士四人の給知、ほかに一二石弱の新田高はすべて蔵入高。
中島村
なかじまむら
中島村
なかしまむら
- 徳島県:小松島市
- 中島村
日開野村のうちで、同村西部にあたる。慶長年間(一五九六―一六一五)のものと推定される国絵図に「中嶋」、寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図では「中嶋村」と記される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報