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新田 しんでん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

新田
しんでん

江戸時代に新たに開発された田畑や屋敷。狭義には元禄以後のものをいい,それ以前の本田と区別する。洪積台地扇状地,火山裾野,段丘などの水の乏しい地帯や,浅海,湖沼の周辺や大河川の三角州などの低湿地帯が開発の対象とされた。

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新田
にった

群馬県南東部,太田市西部の旧町域。利根川の北岸,渡良瀬川が形成した扇状地の末端部にある。 1956年木崎町と生品村,綿打村の2村が合体して新田町が発足。 2005年太田市,尾島町,藪塚本町と合体して太田市となった。

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デジタル大辞泉の解説

あら‐た【新田】

新しく切り開かれた田。新開墾の田。しんでん。
「昔の道人、あるいは種を蒔き、―をすきしがごとし」〈沙石集・五〉

しん‐でん【新田】

新しく開発した農耕地。特に、江戸時代のものをいう。新開。→本田(ほんでん)

にった【新田】

姓氏の一。
清和源氏の一族。平安末期、源義家の孫義重が上野(こうずけ)の新田郡に土着し称したのに始まる。
[補説]「新田」姓の人物
新田次郎(にったじろう)
新田義顕(にったよしあき)
新田義興(にったよしおき)
新田義貞(にったよしさだ)

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百科事典マイペディアの解説

新田【しんでん】

一般的には新しく開発された耕地をいう。江戸時代には基準となる検地までに,すでに村高に組み入れられた耕地を本田(畑)とよぶのに対して,その後に高入れされた地を新田(畑)とよぶ法制上の意味合いがある。
→関連項目枝郷流作場

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世界大百科事典 第2版の解説

しんでん【新田】

荒野などを開墾してできた新しい田地。隠田が領主に申告されていない田地であるのに対して,新田は検注によって領主に把握されている田地である。そして必ずしも新規の開墾地だけでなく,大検注の年に〈年不(ねんふ)〉(その年作付けされていない耕地)だった田地が,新田とされる場合もあった。領主の掌握地とはいっても,本田が領主の年貢・公事賦課の基本的な対象耕地であるのに対し,新田はまだ本田に組み込まれていないので,年貢額もきわめて低いのが通例であった。

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大辞林 第三版の解説

あらた【新田】

新しく開墾された田。しんでん。 「池の中納言頼盛卿の山庄、-まで御らんぜらる/平家 4

しんでん【新田】

新たに開いた田地。
江戸時代、荒れ地や沼沢などを開発して新しく作った田地・畑地・屋敷地などの称。新開。 ↔ 本田 〔江戸時代より前は墾田と称した〕

にった【新田】

姓氏の一。清和源氏、源義家の子義国が下野しもつけに下り、その子義重が上野こうずけ国新田荘を開発、新田太郎と称するのに始まる。南北朝期、義貞の戦死により衰える。

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日本の地名がわかる事典の解説

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

新田
にった

群馬県南東部、新田郡にあった旧町名(新田町(まち))。現在は太田市の西部を占める地区。1956年(昭和31)木崎(きざき)町と生品(いくしな)、綿打(わたうち)の2村が合併して新田町が成立。2005年(平成17)太田市に合併。東武鉄道伊勢崎(いせさき)線が通じる。地域の北部は大間々(おおまま)扇状地で桑畑などの畑作地が広く、南部の大部分は低平な水田地帯である。扇端湧泉(ゆうせん)地帯は標高55メートルで、小金井(こがねい)、市野井(いちのい)、金井(かねい)など「井」のつく集落が分布する。中世新田氏の荘園(しょうえん)として開墾が進み、新田義貞(よしさだ)の挙兵地といわれ、ゆかりの生品神社、反町館(そりまちやかた)跡などの史跡に富む。荘園に関する遺跡は2000年にまとめて「新田荘遺跡」として国の史跡に指定された。旧町域の中心集落の木崎は宿場から発展した小市街地で、買い物町のほかビール工場があり、扇状地では野菜の促成栽培や畜産が行われる。市野倉(いちのくら)開拓地は軍の旧飛行場跡。[村木定雄]
『『新田町誌』全5巻(1983~1990・新田町)』

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世界大百科事典内の新田の言及

【越後国】より

…こうした傾向の増大が幕府の処理能力を超えたとき,北条氏の鎌倉幕府は終末を迎える。 北条氏没落後の越後は,倒幕の中心の一人新田義貞の手に移ったが,建武政府が短期間で滅んでからは,足利尊氏の側に移った。尊氏は関東を重視して,鎌倉府を置き基氏を鎌倉公方に,上杉憲顕,高師冬を関東管領に任じた。…

【開発】より

…鎌倉末に成立した《沙汰未練書》には〈御家人トハ,往昔以来,開発領主トシテ,武家ノ御下文ヲ賜ハル人ノ事ナリ〉〈本領トハ,開発領主トシテ,代々武家ノ御下文ヲ賜ハル所領田畠等ノ事ナリ〉と述べており,開発領主たることが鎌倉幕府の御家人の本質的属性として端的に示されている。鎌倉幕府は,関東御分国たる東国において,開発された〈新田〉を地頭の得分とし,検注免除の特権を付与した。開発を推進させ,開発地に対する強力な領主権を保障したのである。…

【干拓】より


[日本の干拓]
 東日本に湖沼干拓が多く,西日本に海面干拓が多い。湖沼干拓地は新田という地名であるが,海面干拓は旧藩領によって異なり,八代海の新地,有明海の牟田(むた),搦(からみ),籠(こもり),瀬戸内海の開作,新開などがあり,大阪湾,伊勢湾では新田という。湖沼干拓は17世紀の治水技術の発達によって,干潟八万石,飯沼,見沼,紫雲寺潟などに2000~3000haの干拓地ができた。…

【検地】より

…慶長・元和の検地につぐ寛永・慶安期(1624‐52)の検地は,幕政初期の農政の仕上げともいうべきもので,1649年(慶安2)にはいわゆる〈慶安御触書〉32ヵ条とともに〈検地掟〉26ヵ条(慶安検地条目)が出されている。ついで寛文の関東総検地,延宝の畿内・近国の幕領検地(寛文・延宝検地),さらに貞享の上野などの検地,元禄の信濃・飛驒などの検地(元禄検地)があり,そのたびに新しい規準が若干ずつ加えられていき,1726年(享保11)には詳細な新田検地条目ヵ条が出された。これより享保以前の検地を古検,以後のそれを新検と称し,元禄以前に検地した耕地を本田畑,元禄以後享保以前に検地した新田を古新田といって,享保以後の新田と区別した。…

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