朝日日本歴史人物事典 「佐川藤太」の解説
佐川藤太
生年:生年不詳
江戸中・後期の狂歌作者,浄瑠璃作者。通称釘屋藤兵衛。狂歌作者名佐藤魚丸。天明・寛政年間(1781~1801)は狂歌作者としての大坂における活動が主。噺本や読本,歌舞伎狂言も書いていた。浄瑠璃作者としては文化2(1805)年「会稽宮城野錦繍」,以後「八陣守護城」「桜姫操大全」「玉黒髪七人化粧」をはじめとし,文政年間(1818~30)までに20編近くの作品を残している。その作風は「花筏巌流島」正本末尾に「むかし浄るりのふるきをたつね趣向外題もそのまゝながら流行におくれたる言の葉をいまようにあたらしく色とりて」と自ら述べているごとく,旧作の改作増補に技量を発揮した。狂歌本に『狂歌かたをなみ』,噺本に『粋のみちづれ』,読本に『越路の雪』などがある。<参考文献>『義太夫年表/近世篇1,2』
(黒石陽子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報