保倉保(読み)ほくらほ

日本歴史地名大系 「保倉保」の解説

保倉保
ほくらほ

浦川原うらがわら村付近にあった。保名は同地を流れる保倉川、およびその流域保倉谷にちなむものであろう。貞治元年(一三六二)六月二七日上杉憲顕から「越後国頸城郡五十公郷内保倉保北方」が山城天龍寺に寄進された(「上杉憲顕寄進状案」天龍寺重書目録)。応永二七年(一四二〇)四月一九日には幕府から同保の段銭・諸公事・臨時課役・守護役を免じられ(「細川満元施行状案」同文書)、同三〇年九月五日守護上杉房朝は守護代長尾邦景に命じて、当保の下地を天龍寺雑掌に渡付させた(「上杉房朝遵行状案」同文書)。さらに文安四年(一四四七)一二月二四日幕府は「天龍寺並雲居庵領越後国富川保・保倉保・西広島段銭人夫臨時課役守護役等」を免除、守護不入とした(「細川勝元施行状案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む