東頸城郡(読み)ひがしくびきぐん

日本歴史地名大系 「東頸城郡」の解説

東頸城郡
ひがしくびきぐん

面積:四二八・一九平方キロ
浦川原うらがわら村・まき村・安塚やすづか町・大島おおしま村・松代まつだい町・松之山まつのやま

県南西部、高田たかだ平野と信濃川の間に横たわる東頸城丘陵が郡域のほとんどを占める。この丘陵は県では最大の規模をもち、地層は新第三紀層で形成され、谷が複雑に入込む起伏の激しい地形で、未固結の地層のため地滑りの多発地帯である。丘陵は南高北低で南は関田せきた山脈を境に中魚沼郡津南つなん町・長野県飯山いいやま市・同県下水内しもみのちさかえ村、東は十日町市・中魚沼郡中里なかさと村、北は同郡川西かわにし町・刈羽郡高柳たかやなぎ町・柏崎市・中頸城郡吉川よしかわ町・頸城村、西は上越市および中頸城郡清里きよさと村・三和さんわ村に接する。郡のほぼ中央、南の深坂みさか峠・野々海ののみ峠から北へ鼻毛はなげ(法師峠)正面倉しようめんくら山・小豆あずき峠・鍋立なべたて山を結ぶ稜線は当郡を二分する分水嶺をなし、東部は北流して長岡市で信濃川に合流する渋海しぶみ川水系、西部は野々海峠を発して北流、浦川原村小黒おぐろ川と合流して上越市でせき川に合流する保倉ほくら川水系である。郡一帯は有数の豪雪地で積雪は三―五メートルにも達するため、冬季の交通は不便で「陸の孤島」と称されてきたほどである。現在、郡部を東西に走る国道二五三号・四〇五号が大動脈であるが、中頸城郡大潟おおがた犀潟さいがたと南魚沼郡六日むいか町間五九・四キロを結ぶ鉄道北越北線(仮称)が昭和四三年(一九六八)から着工され、現在工事は進行中である。

現郡名は明治一一年(一八七八)の郡区町村編制法発布により頸城郡が東・中・西の三郡に分割されたときに始まる。天平勝宝四年(七五二)一〇月二五日の造東大寺司牒(正倉院文書)に「頸城郡膽君郷」とある。「和名抄」では頸城郡に一〇郷が記され五十公いきみ(五公郷)が当地域に当てられて「以支美」と訓ずる。

〔原始〕

縄文時代の遺跡は郡内に多数みられ、浦川原村の顕聖寺けんしようじ遺跡、安塚町切越きりこし遺跡、松之山町十文字じゆうもんじ遺跡などが主である。保倉川沿いにある顕聖寺遺跡は縄文後期を主体とした遺跡で、土器片・石器類が多数発見され、晩期の竪穴住居跡、晩期以降の構築である炉跡状の組石遺構も発見されている。切越遺跡・十文字遺跡は中期から後期の遺跡で、中期の火焔土器、後期初頭の三十稲場式土器などを出土。弥生時代の遺跡は現在のところ当地方では発見されていない。牧村の宮口みやぐち古墳群は飯田いいだ川が高田平野に流れ出る谷口扇頂部に位置する後期古墳群である。北陸最北端の群集墳とされ、三三基の円墳が確認された。そのなかで、一一号墳は発掘品が豊富で、石室は袖無型横穴式石室の形態をとり、直刀(金銅製円頭大刀)のほか刀子・勾玉・金環など多数が発見された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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