デジタル大辞泉
「下地」の意味・読み・例文・類語
した‐じ〔‐ヂ〕【下地】
1 物事が成り立つ土台となるもの。基礎。素地。素養。「小さいころから音楽の下地がある」「下地が入っているのですぐに酔う」
2 (「助枝」とも書く)木や竹の細い材を縦横に組んだ壁の骨組み。壁下地。かべしろ。また、襖の骨組みや下張り。
3 生まれつき持っている性質・才能。「下地もよいし、指導者もよかった」
4 《吸い物の味つけのもとになるところから》醤油。また、だし汁。「お下地」「割り下地」
5 心の底。本心。
「―から惚れて居るこそ幸ひ」〈伎・五大力〉
6 芸妓や役者などになるための見習い中の者。下地っ子。
「男色の方に陰子、飛子、―とて、初心の者はあれど」〈浮・禁短気・四〉
7 中世、田畑・山林その他、収益の上がる土地そのものをさす語。
8 本来。もともと。まえまえ。
「―草臥れた上が一倍草臥れて」〈伎・幼稚子敵討〉
[類語](1)素地・基本・大本・基礎・根本・根幹・中心・基軸・基調・基底・根底・基・土台・初歩・いろは・ABC・基盤・基幹・基部・大根/(3)本性・地・生地・地金/(4)醤油・紫・生醤油・溜まり醤油・濃い口醤油・薄口醤油
げ‐じ〔‐ヂ〕【下地】
1 菩薩の十地のうち、下等の地位。
2 地上の世界。下界。
「―の人、何をか行きて供養する事を得ん」〈今昔・三・三四〉
3 下級の地位。低い身分。
「―の者なりけれども、心ざま事に触れて尋常なりける」〈沙石集・七〉
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した‐じ‥ヂ【下地】
- 〘 名詞 〙
- ① ( 助枝とも書く ) 壁土を塗るための基礎。木や竹の細い材を縦横に組んだ壁の骨組。壁下地。かべしろ。また、一般に、その上に塗ったり描いたりするための土台となるもの。〔十巻本和名抄(934頃)〕
- [初出の実例]「かべの大くまいりて候。したぢとくして候はばや」(出典:七十一番職人歌合(1500頃か)二番)
- ② 物事をなす基礎となるもの。下ごしらえの準備。土台。素地。
- [初出の実例]「染ぬるした地」(出典:名語記(1275)六)
- 「御富貴にならせられうしたぢでござる」(出典:虎明本狂言・栗焼(室町末‐近世初))
- ③ 中世、年貢、雑税など、領主の収益の対象となる荘園、所領をいう。田畑だけでなく、山林、塩浜なども含めたもの。「年貢」「所当」「上分」等に対する語。〔石清水文書‐弘安元年(1278)一二月八日・淡路国鳥飼別宮雑掌地頭和与状写〕
- [初出の実例]「藤島庄は、当寺多年山門と相論する下地にて候」(出典:太平記(14C後)二〇)
- ④ 生まれつきの性質。素質。天性。生まれつき。
- [初出の実例]「賢きしたぢ無くして、俄に菩薩になり難かるべし」(出典:梵舜本沙石集(1283)三)
- ⑤ 心の奥。本心。しんそこ。また、内々。内密。副詞的にも用いる。〔経覚私要鈔‐宝徳四年(1452)四月六日〕
- [初出の実例]「下地(シタヂ)から惚れて居るこそ幸ひ」(出典:歌舞伎・五大力恋緘(1793)二幕)
- ⑥ ( 味つけのもととなるものの意から ) しょうゆ。また、天ぷらやそばなどのつけ汁や、だし汁などをもいう。おしたじ。
- [初出の実例]「若き菊を摘て能すすぎ、下地をかへらかして、扨菊の葉を入て、しほさかしほ味ひて参する」(出典:四条流庖丁書(1489))
- 「御無心ながら、醤油(シタヂ)がすこしあらば、どふぞかしておくんなせへ」(出典:滑稽本・東海道中膝栗毛‐発端(1814))
- ⑦ 見習い。特に、芸妓・娼妓などになるための見習い期間中の者。また、その期間。
- [初出の実例]「十一二三の若衆下地(したヂ)の子どもの随分随分色品よきを」(出典:浮世草子・世間胸算用(1692)四)
- ⑧ 元来。もともと。もとより。副詞的にも用いる。〔経覚私要鈔‐宝徳三年(1451)一〇月一九日〕
- [初出の実例]「下地草卧た上が一倍草卧れて」(出典:歌舞伎・幼稚子敵討(1753)二)
- 「今のうちに誰れなりと、女房にお持ちなされて、下地(シタヂ)から云ひなづけぢゃと仰しゃったら」(出典:歌舞伎・阿国御前化粧鏡(1809)三立)
- ⑨ 「かつらしたじ(鬘下地)」の略。低く結った銀杏返し。がくやいちょう。
- [初出の実例]「役者が下地(シタジ)を致してゐる様な鬘(かづら)を拵へて貰って」(出典:合巻・色三味線艷連引(1828)前)
- ⑩ 小麦をいう女性語。〔日葡辞書(1603‐04)〕
げ‐じ‥ヂ【下地】
- 〘 名詞 〙
- ① 仏語。菩薩の十地のうち、下等の地位。また、三界を九地に分けて、そのうちの劣った下等の地位。〔大毘婆沙論‐一七〕
- ② 下級の地位。身分の低いこと。
- [初出の実例]「下総国に先世坊と云ふ物ありけり。下地(げぢ)の物なりけれども、心ざま事に触れて尋常なりけり」(出典:梵舜本沙石集(1283)七)
- ③ ( 天上界に対して ) 地上の世界。下界。
- [初出の実例]「舎利、汝等に随て天上に在(ましま)さば、下地(げぢ)の人、何をか行て供養する事を得む」(出典:今昔物語集(1120頃か)三)
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下地 (したじ)
公領や荘園において,所当(年貢)や公事(夫役,雑公事)などの剰余労働(または剰余生産物)を上分(じようぶん)というのに対し,これらを生み出す土地(田畠などの耕地や山野未開地)をいう。13世紀以降では,さらにすすんで土地とそこで生産活動に従事する人間との結びつきそのものをさすに至る。律令制下では,土地よりも人身に課す庸・調・雑徭以下の課役の比重が大きかったが,10世紀以後,荘園制が形成され,土地そのものが貴族社寺などの主要な財産となると,上分に対して下地の比重が高くなった。したがって荘園制下では〈下地の知行〉(土地そのものの支配)と〈上分の知行〉(年貢・公事の収取)との二つの知行が,同一の所領に対して重層的に存在しえた。前者を下級所有(地頭職,名主(みようしゆ)職)とすれば,後者を上級所有(本家・領家職,加地子(かじし)職)とみなしうる。しかし実際には,年貢所当のみならず,課役も耕地面積別に課し,耕地と農民以下を統一的に把握する方向にむかい,そのために,本家,領家,地頭,預所(あずかりどころ)などの荘園の各級の領主らは〈厳重之百姓〉を土地に召し付け,勧農(農民の耕作地保有の固定や,それにもとづく経営安定化)政策を行い,彼らの間での相互の下地の進止権,つまり領主的土地所有確立をめぐる争いは激化する。御家人・地頭層を基盤として成立した鎌倉幕府は,1185年(文治1)の諸国地頭設置の勅許をもって〈諸国庄園の下地は,関東(鎌倉幕府)一向に領掌したもう〉(《吾妻鏡》)としたが,必ずしもその方針は貫徹せず,かえって本家・領家以下の荘園領主との対立を激化させた。13世紀に入って,農業技術や分業の発展,勧農政策のいっそうの推進によって,田畠耕地のみならず,在家,屋敷,河川,塩浜,漁場なども下地の対象となり,他方,農・漁民以下の年貢・公事の減免闘争が盛んになると,彼らからもつきあげられて,領家・地頭間の下地進止権をめぐる争いも激化し,両者の間でしばしば下地を分割する事態が生じた。
→下地中分
執筆者:島田 次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
下地
しもじ
沖縄県宮古(みやこ)郡にあった旧町名(下地町(ちょう))。現在は宮古島市の南西部を占める。1948年(昭和23)下地村から上野(うえの)村が分離独立、下地村は翌年町制施行。2005年(平成17)下地町は上野村、伊良部(いらぶ)町、城辺(ぐすくべ)町、平良(ひらら)市と合併し宮古島市となった。旧町域は宮古島南西部にあり、来間島(くりま)(面積2.84平方キロメートル)を含む。地形は川満(かわみつ)、嘉手苅(かでかり)、入江湾を結ぶ線より北東側は平坦(へいたん)な台地。南西側は低地の平野部からなる。来間島は、南へ緩傾斜する琉球(りゅうきゅう)石灰岩の低島。国道390号が平良地区、城辺地区を結ぶ。来間島とは来間大橋で結ばれる。かつて、入江湾周辺はマラリア病地域で、数村落が廃村になったのち、川満と嘉手苅村落が強制的に建設された。中心集落は与那覇湾に面する上地(うえじ)。現在、農業が主産業で、おもにサトウキビ、葉タバコを栽培。来間島はサトウキビのほか、かつお節製造が主産業。観光地として、与那覇前浜の海岸があり、リゾートホテル、ゴルフ場も立地している。
[堂前亮平]
『『下地町制二十周年記念誌』(1969・下地町)』▽『『下地町町制施行50周年記念誌』(1999・下地町)』
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下地
しもじ
沖縄県西部,宮古島市南西部の旧町域。宮古島南西部にあり,橋で結ばれる来間島 (くりまじま。 2.84km2) を含む。 1949年町制。 2005年平良市,城辺町,上野村,伊良部町と合体して宮古島市となる。旧町名は近世以来の間切 (まぎり。行政区画) 名に由来。サトウキビ栽培が主で,製糖工場がある。タバコ,野菜栽培,乳用牛飼育なども行なわれる。北に与那覇湾,南の嘉手刈に入江湾がある。与那覇前浜は海水浴場として知られる。 1995年来間島との間に来間大橋が完成。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
下地[町]【しもじ】
沖縄県,宮古島南西部,宮古郡の旧町。中心集落は与那覇(よなは)湾に面する与那覇と上地(うえち)。10〜50mの隆起サンゴ礁台地で,サトウキビ畑が開け,上地には製糖工場がある。畜産,乳加工業も盛ん。与那覇前浜は美しい砂浜で有名。2005年10月,平良市,宮古郡城辺町,伊良部町,上野村と合併し市制,宮古島市となる。23.63km2。3308人(2003)。
下地【したじ】
荘園・公領において,年貢・所当(しょとう)や夫役(ぶやく)などの公事(くじ)を指す上分(じょうぶん)に対し,田畠・山野等収益を生み出す土地自体を指す呼称。10世紀以降荘園の広範な成立に伴い下地の知行が重要となり,上分の知行権を持つ本家・領家らと,下地知行権を持つ地頭・名主らとの間で実際に下地を支配する権利,進止権(しんしけん)をめぐる争いが頻発した。13世紀以降は在家(ざいけ)・河川・漁場・塩浜・山林なども下地の対象となり,下地進止権をめぐる係争はさらに激化。領家と地頭の間で,実際に下地を分割する下地中分(したじちゅうぶん)で,しばしば解決が図られた。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
下地
したじ
荘園公領における貢納物の源泉としての土地。荘園形成当初,所当・年貢・所務・上分・得分などに対していった。これは当時雑役免や半不輸(ふゆ)・浮免(うきめん)などにみられるように,貢納物の取得と下地の知行(ちぎょう)が必ずしも一致していなかったことによる。荘園支配の一円化により領域型荘園が形成されると,荘園領主は下地知行を強化していった。しかし鎌倉中期から地頭など在地領主との確執により下地中分(したじちゅうぶん)なども行われ,荘園領主の下地支配は揺れた。鎌倉末期以降,領主勧農の衰退と在地勧農の形成で地下人(じげにん)らの下地掌握が進むと,荘園領主の下地支配はしだいに限定されていく。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
したじ【下地】
加工や仕上げなどをする土台。木や竹の細い材を縦横に編んだ壁塗りのための骨組みや、屋根の瓦(かわら)を葺(ふ)くために板や防水材などを張った部分など。
出典 講談社家とインテリアの用語がわかる辞典について 情報
下地
したじ
中世,収益を意味する上分に対し,それらの収益を実現するための対象となる土地をいう
したがって田畑・山林・塩浜などが含まれる。
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
世界大百科事典(旧版)内の下地の言及
【みそ(味噌)】より
…1980年時点でみその売上げは約1300億円であり,即席みそ汁は約160億円である。【海老根 英雄】
[食用]
みそは,江戸時代に入ってしょうゆが普及するまでは最も用途の広い調味料であり,調味の基礎となるものを意味する〈下地(したじ)〉の語も,しょうゆ出現以前にはみそを指していた可能性がある。企業的生産の行われる以前から自家醸造は盛んに行われており,経済力のあるところでは原料配合の異なる,さまざまな種類のものをつくっていたことが《多聞院日記》などでうかがうことができる。…
【地】より
…前者の用例が地色,地の文などの地に通じ,後者の地が囲碁の地に当たるのであろう。また〈在地〉〈下地〉などの地は,土地の上に生ずる〈作毛〉とそれによる得分とは区別された,土地そのものを指す語であり,土地の売買などの移動に当たって,平安後期には〈在地〉の人の確認を得ることがとくに必要とされた。地主や地子・地利などの語も,この〈地〉に結びついており,京に対する田舎の意の〈[地下]〉の地も同様である。…
【所務沙汰】より
…所務は収納の意で,《日葡辞書》では〈年貢の取立て〉とする。14世紀初頭の鎌倉幕府の訴訟制度解説書《沙汰未練書》は,所務沙汰とは〈所領の田畠下地(したじ)相論の事〉と定義している。
[管轄]
鎌倉初期には問注所で受理し,実務処理を経て,鎌倉殿自身が裁決した。…
【八重山地震津波】より
…宮古でも退潮現象があり,また巨大なサンゴ礁岩も打ち上げられている。池間・前里(現,平良(ひらら)市),友利・砂川(現,宮古郡城辺(ぐすくべ)町),新里・宮国(現,下地(しもじ)町),伊良部(いらぶ)・仲地・佐和田(現,伊良部町),塩川・仲筋・水納(みんな)(現,多良間(たらま)村)の12ヵ村に被害があり,計2548人が死亡した。結局,遭難者は八重山,宮古を合わせて1万1861人に達した。…
※「下地」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」