元相応村(読み)もとそうおうむら

日本歴史地名大系 「元相応村」の解説

元相応村
もとそうおうむら

[現在地名]佐賀市西与賀町にしよかまち大字高太郎たかたろう字元相応

慶長・正保元禄絵図には村名の記載がなく、慶長年間(一五九六―一六一五)頃の海岸線と考えられる。その後の沖積干拓とによって陸地化・耕地化が進んだのであろう。相応津の東にあって、戦国末期までは小津江おづえ河口の潮待港の役割をもっていたと思われ、のち本庄江ほんじようえに沿った相応津にその役割を奪われ、内陸の水田地化した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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