則光村(読み)のりみつむら

日本歴史地名大系 「則光村」の解説

則光村
のりみつむら

[現在地名]美濃加茂市下米田町則光(しもよねだちようのりみつ)

為岡(ためおか)村の南、西脇(にしわき)村の東にあり、南東村境に白(はく)山(通称東山、二七二・七メートル)がある。慶長郷帳によれば、旗本滝川豊前知行所二五四石余。ほかに平岡牛右衛門知行所の米田島(よねだしま)村一四石余が当村分と思われる。滝川領は以後幕末まで続く。正保郷帳によれば田方二一四石余・畑方五〇石余・山高四石。平岡氏が知行したのは慶長九年(一六〇四)から承応二年(一六五三)のみで、後は幕府領に編入された(岐阜県史)。幕府領の延享三年(一七四六)の村明細帳(神田文書)によれば、字清友(きよとも)で百姓一軒のみ、田方は信友(のぶとも)村地内の五ヵ村入会溜池より引水。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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