北田中庄・南田中庄(読み)きたたなかのしよう・みなみたなかのしよう

日本歴史地名大系 「北田中庄・南田中庄」の解説

北田中庄・南田中庄
きたたなかのしよう・みなみたなかのしよう

永観二年(九八四)と思われる湛照僧都分付帳(東大寺要録)に「田中庄十町三段百八十歩今吉 勧学院田四町八段百八十歩 公田畠五町五段」とあり、また「同田中庄十町五段三百歩 不輸租田三町一段 一品御位田一町八段 勧学院田八段 伝法供田五段 公田畠七町四段三百歩」とある。

これによると、田中庄・同田中庄はともに東大寺雑役免田と考えられる。この両田中庄に関係があると考えられる康和五年(一一〇三)の大和国今吉負田検田帳(東大寺文書)には「添上郡北田中今吉負田」九町九段半がみえる。条里坪付は添上郡三条二里(八)・三里(八)、四条三里(一)である(括弧内は坪数)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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