千代永村(読み)ちよながむら

日本歴史地名大系 「千代永村」の解説

千代永村
ちよながむら

[現在地名]八代市日奈久山下ひなぐやました町・日奈久竹之内ひなぐたけのうち

田河内たがわち村に北接し、南は日奈久村。元文(一七三六―四一)頃の「肥集録」に日奈久村の小村と記されている。葦北あしきた郡田浦手永に属し、「国誌」は「高百石七斗余海辺也」と記す。宝暦(一七五一―六四)頃の肥後国中寺社御家人名附では日奈久村懸りの村。文久三年(一八六三)夏に痳疹が流行し、患者数八六(うち死者二)を数えた(「田浦二見日奈久記録」県立図書館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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