吾田媛(読み)あたひめ

世界大百科事典(旧版)内の吾田媛の言及

【武埴安彦命】より

…母は河内青玉繫の女の埴安媛。《日本書紀》崇神紀10年9月条によれば,山背にあって妻の吾田媛(あたひめ)と謀反をはかるが,事あらわれて吾田媛は崇神天皇の派遣した五十狭芹彦(いさせりびこ)の軍に敗れ,武埴安彦は和珥臣(わにのおみ)の遠祖の彦国葺(ひこくにぶく)に射殺されたという。なお《古事記》孝元天皇段には建波邇夜須毗古命,崇神天皇段には建波邇安王とみえる。…

※「吾田媛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む