…母は河内青玉繫の女の埴安媛。《日本書紀》崇神紀10年9月条によれば,山背にあって妻の吾田媛(あたひめ)と謀反をはかるが,事あらわれて吾田媛は崇神天皇の派遣した五十狭芹彦(いさせりびこ)の軍に敗れ,武埴安彦は和珥臣(わにのおみ)の遠祖の彦国葺(ひこくにぶく)に射殺されたという。なお《古事記》孝元天皇段には建波邇夜須毗古命,崇神天皇段には建波邇安王とみえる。…
※「吾田媛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の9月中 (9月後半) のことで,太陽の黄経が 210°に達した日 (太陽暦の 10月 23日か 24日) に始り,立冬 (11月7日か8日) の前日までの約 15日...