天皇(読み)てんのう

精選版 日本国語大辞典 「天皇」の意味・読み・例文・類語

てん‐のう ‥ワウ【天皇】

〘名〙 (「てんおう」の連声(れんじょう))
① 一国を統治する天子国王皇帝などに相当する呼称。すめらみこと。みかど。
令義解(718)儀制「天皇。〈詔書称〉皇帝。〈華夷所称〉」
※伊勢物語(10C前)六九「斎宮は水のをの御時、文徳天皇の御むすめ」 〔旧唐書‐高宗紀・下〕
② (近代日本における天皇) 旧憲法では国家の元首とされ、統治権総攬(そうらん)し、絶対的な地位を有し神聖不可侵とされた。新憲法では日本国および日本国民統合の象徴とされ、国事に関する行為だけを行ない、その地位は主権者である国民の総意に基づくとされる。皇室典範の定めにより皇統に属する男系の男子がこの地位を継承する。
大日本帝国憲法(1889)四条「天皇は国の元首にして統治権を総攬し」

すめろ‐き【天皇】

〘名〙
地方を治める首長。地方豪族の主。
万葉(8C後)一三・三三一二「隠口(こもりく)の 泊瀬小国に よばひ為す 吾が天皇寸(すめろき)よ」
皇祖である天皇。すめらぎ。
法隆寺伽藍縁起并流記資財帳‐天平一九年(747)「遠き須売呂岐の御地を布施し奉らくは」
③ 時の天皇。すめらぎ。
※万葉(8C後)三・四四三「天雲の 向伏す国の 武士(もののふ)と いはるる人は 皇祖(すめろき)の 神の御門に 外の重に 立ち候(さもら)ひ」

すめら‐みこと【天皇】

〘名〙 天皇(てんのう)を敬い尊んでいう語。すべらみこと。
書紀(720)皇極元年二月(岩崎本平安中期訓)「還使に付(さつ)けたまはむと請(まう)す。天朝(スメラミコト)許したまはず」

すめら‐ぎみ【天皇】

※日本紀竟宴和歌‐天慶六年(943)「琴の音のあはれなればや数梅羅機瀰(スメラキミ)ひだのたくみの罪をゆるせる〈葛井清鑑〉」

てん‐こう ‥クヮウ【天皇】

天地人三才の思想に基づく、中国古代の伝説上の帝王。三皇のはじめ。
※愚管抄(1220)一「漢家年代〈略〉三皇 天皇 地皇 人皇」 〔史記‐秦始皇本紀〕

すめら‐ぎ【天皇】

※書陵部本名義抄(1081頃)「天皇 スメラギ〔宣〕」

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デジタル大辞泉 「天皇」の意味・読み・例文・類語

てん‐のう〔‐ワウ〕【天皇】

《「てんおう」の連声れんじょう
日本国憲法で定められた日本国および日本国民統合の象徴。その地位は国民の総意に基づくとされ、一定の国事行為だけを行い、国政に関する権能をもたない。皇位は世襲とされ、男系の男子によって継承される。明治憲法では、国の元首として統治権総攬そうらんする地位にあった。
その世界・分野で強大な権力をもつ人のこと。「財界の天皇
皇帝天子の尊称。
[補説]もと、中国から取り入れた称号で、古く大和朝廷時代の大王おおきみが用い、「すめらみこと」「すべろぎ」などと訓じた。奈良時代から平安時代にかけて政治・祭祀の頂点として絶大な権力を有したが、摂関政治院政武家の台頭により次第に政治的な権能を失う。室町時代には廃絶する宮中祭祀も多く、その地位は著しく低下したが、江戸時代末に尊王論が盛んとなり、王政復古明治憲法における天皇制へとつながった。
[類語]天子

てん‐こう〔‐クワウ〕【天皇】

中国古代の伝説上の帝王。天地人の三皇さんこうの一。
中国で、天子の称。

すめろ‐ぎ【天皇】

《「すめろき」とも》「すめらぎ」に同じ。
「―のす国なればみこと持ち立ち別れなば後れたる君はあれども」〈・四〇〇六〉

すべら‐ぎ【天皇】

《「すべらき」とも》「すめらぎ」に同じ。
「―の天の下知ろしめすこと」〈古今・仮名序〉

すめら‐ぎ【天皇】

《「すめらき」とも》天皇てんのう。すめろぎ。
「―の近江の宮に作りおきし時のまにまに御世もたえせず」〈日本紀竟宴和歌〉

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天皇」の意味・わかりやすい解説

天皇
てんのう

日本国憲法(第1章)に定められた日本国および日本国民統合の象徴。天皇の地位をさす場合と、天皇の地位にある特定の個人をさす場合とがある。7世紀ごろ大和(やまと)朝廷の大王(おおきみ)が用いた称号に始まり、その権能は古代、中世、近世、近代と変遷を経て、現代の象徴天皇制に及んでいる。

[村上重良]

天皇の称号

天皇という称号は、中国から取り入れたもので、スメラミコト、スベラギ、スベロギなどと訓(よ)んだ。古代中国では、神話伝説上の帝王に、天皇氏、地皇氏、人皇氏があるが、一般には、天皇とは道教系の神名で、北極星を神格化した神をいう。中国で皇帝が天皇と称した例は、唐の高宗(在位650~683)があるのみで、中国ではもっぱら宗教上の用語である。日本での用例は、608年(推古天皇16)聖徳太子が隋(ずい)に送った国書に、「西皇帝(もろこしのきみ)」に対して「東天皇(やまとのてんのう)」と称したとの『日本書紀』の記述が最初とされる。古代国家の大王がとくに天皇の称号を採用したのは、自己が天の神の子孫であることを強調するとともに、国の最高祭司として自ら祭祀(さいし)を行い、祭りをすることによって神と一体化するという宗教的性格の強い王であることを表したものであろう。日本訓みのスメラミコトのスメラは、玉に紐(ひも)を通してその両端を握る意味の「統(す)べる」で、統治することをいう。ミコトは、神や身分の高い人の敬称で、神のことばを身に受け、神のことばを発する人を意味するミコトモチの略とされる。すなわち、スメラミコトとは、統治する尊い方という意味である。天皇は、神祇(じんぎ)に対しては、皇孫の意味でスメミマノミコトと称した。

 天皇の敬称、別称は、歴史上きわめて多彩である。7世紀中ごろからは、神と一体の尊い人として現人神(あらひとがみ)、現御神(あきつみかみ)とよばれ、また天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫の意味で「日の御子(みこ)」ともよばれた。古代以来の天皇の別称には、大君、上(うえ)、上(かみ)、主上、皇上、聖上、今上(きんじょう)、当代、当今(とうぎん)、至尊、聖(ひじり)、一人(いちじん)などがあり、上御一人(かみごいちにん)、すなわち現に上に在る尊い人という意味のことばが多い。また中国での皇帝の別称もそのまま用いられた。すなわち、天命を受けて天下を統治することから天子、天朝、一天の君、四海を統御する意味で御(ぎょ)、天子は南面し臣下は北面することから南面、天子は一万の兵車を出す広い土地を治めることから万乗(ばんじょう)、万乗の君、一天万乗の君などの称がある。さらに、仏教から出た天皇の別称があり、十善戒を守る功徳(くどく)で王となるとされることから十善の主、十善の王とよび、須弥四洲(しゅみししゅう)を治める王の意味で金輪(こんりん)、金輪聖王(じょうおう)、聖主、聖皇と称した。

 そのほか、天皇に関連のある事物で、間接的に天皇をさす別称も多い。皇居の門をいうミカド、内裏(だいり)をさすウチ、朝廷をさすオオヤケなどは広く用いられた。また、皇居は、みだりに立ち入りを許されないことから、禁裏、禁裡(きんり)、禁中とよび、皇居をさす宸儀(しんぎ)、天皇の乗り物をさす乗輿(じょうよ)、車駕(しゃが)などの称もある。天皇に付す敬称の陛下は、皇居の階下のことで、中国で、天子にはつねに近衛(このえ)の兵士が階下に連なっていることに由来する。対外的には、明治維新直後の1868年(慶応4)正月の国書で天皇の称号を用いることとしたが、皇帝の称号も併用された。のち1936年(昭和11)4月、対外的称号は天皇に統一された。

 なお、天皇には姓はなく、死後に追号が贈られる。生前の徳をたたえる追号は、諡号(しごう)ともいう。追号の制度は、律令(りつりょう)の公式令(くしきりょう)で確立した。追号には、在所、山陵の名、先の天皇の追号に「後」を付したもの、先の2人の天皇の追号から1字ずつを採り合わせたものなどがある。明治以後は一世一元制となり、元号が追号とされている。

[村上重良]

歴史上の天皇

古代

6~7世紀に、大和朝廷の大王は、キミ、ワケとよばれる各地の王を服属させて権力を強大にし、古代統一国家を形成した。8世紀には律令国家が確立し、祭司王としての天皇の権威と権力の根源をなす年ごとの新嘗祭(にいなめさい)は、天皇が神と一体となるもっとも重要な皇室祭祀となった。新たに天皇が即位すると、一代一度の新嘗祭の大祭を行い、大嘗祭(だいじょうさい)と称した。古代天皇制国家は平安前期に最盛期を迎え、天皇は政治上の統治権と、国の祭祀をつかさどる祭祀権を保持し、その権威と権力は『古事記』『日本書紀』の神話によって根拠づけられた。天皇の宗教的権威は仏教、道教・陰陽道(おんみょうどう)、儒教によって補強され、皇室の仏教化が進行したが、神祇祭祀の原基をなす皇室祭祀は、道教の儀礼を積極的に取り入れて、仏教との習合を拒み続けた。皇位のしるしとされる鏡、剣、璽(たま)の三種の神器は、歴代の天皇によって受け継がれ、思想的、道徳的に意義づけられた。天皇の統治権は、藤原氏の摂関政治と、これに続く院政によって力を弱めた。

[村上重良]

中世

12世紀末、鎌倉幕府が成立し、王朝勢力は政治の実権の大半を失った。たび重なる幕府との抗争に敗れて、天皇の統治権はしだいに有名無実となった。しかし、皇室祭祀の厳修は朝廷の最重要事とされ、大嘗祭の挙行にあたっては、売官等による資金の調達が行われた。14世紀なかばには、建武(けんむ)中興によって天皇の親政が復活したが、わずか3年で崩壊した。こののち半世紀余にわたり、南北朝が併立して抗争が続いた。皇統の分立で天皇の権威は低下し、南北朝合一後の15~16世紀には、朝廷は極度に衰微した。皇室祭祀の中心をなす新嘗祭は、15世紀なかばから220年にわたって廃絶した。大嘗祭も、この時期から225年間、明確な挙行の記録がなく、新嘗祭とともに江戸中期に再興された。立坊(りつぼう)(立太子礼(りったいしれい))は、14世紀後半から315年にわたって廃絶し、江戸中期に再興された。

[村上重良]

近世

16世紀後半から17世紀初頭に全国を統一した織豊(しょくほう)政権と、それに続く江戸幕府は、天皇を擁して、自らの政治支配を正当化し権威づけた。古代以来の律令制は形のうえでは生き続けていたから、幕府は朝廷に小大名なみの御料(領地)と公家(くげ)領を増進し、幕府の援助で祭祀、行事を再興して、天皇の権威を強化した。しかし、幕府は天皇が政治上の実権をもつことは許さず、朝廷を厳しい統制下に置いた。天皇は、名目的な作暦、改元、叙位任官の権限を保持していたにすぎなかった。幕府の尊王擁幕の姿勢は、やがて尊王論の発達を促す結果となり、江戸後期には、神道(しんとう)、国学、水戸学、儒教などにたつ擁幕あるいは反幕の尊王論が盛んになった。幕末、開国をめぐる政争の過程で、幕府は朝廷に異例の条約勅許を請い、天皇の政治的復活に道を開いた。1860年代には江戸と京都の二重政権が成立し、倒幕勢力は天皇を擁して幕府を打倒した。

[村上重良]

近代

1868年(慶応4・明治1)の明治維新によって、王政復古が実現し、祭政一致が政治理念の基本として掲げられた。近代天皇制における天皇の地位は、1889年(明治22)制定の大日本帝国憲法と旧「皇室典範」によって確立した。天皇は、国の元首として政治大権(統治権)、軍の統率者として軍事大権(統帥権(とうすいけん))を一身に保持するとともに、伝統的な祭祀大権を有し、しかも、天皇自身は神聖不可侵な現人神(あらひとがみ)とされた。現人神の観念は、人と神の間に断絶のない日本古来の神観念からかけ離れた一神教の神観念を取り入れたもので、天皇は絶対的真理と普遍的道徳を体現する至高の存在とされ、あらゆる価値は天皇に一元化された。天皇の権威と権力は記紀神話によって根拠づけられ、皇祖の神々および歴代天皇の神霊と天皇との一体化が進められた。皇室祭祀では、記紀神話に基づく元始祭、紀元節祭、神武(じんむ)天皇祭が新たにつくられ、また天皇の祖先である皇霊のための祭祀がおびただしく新定された。全国の神社は、皇祖神を祀(まつ)る伊勢(いせ)神宮を本宗(ほんそう)として一元的に再編成され、国家の祭祀を行う非宗教の国家的公的施設となった。天皇は国家神道のいわば最高祭司であり、神社の祭式は皇室祭祀を基準に整えられた。

[村上重良]

現代

1945年(昭和20)敗戦によって国家神道は解体し、翌1946年元日、天皇はいわゆる人間宣言の詔書で、自らの神格を否定した。1947年施行の日本国憲法は、天皇を日本国および日本国民統合の象徴と規定した。憲法は、皇位の世襲と、天皇が行う国事行為などを定め、天皇は政治上の権限をもたない儀礼的な存在となった。皇室祭祀をはじめ天皇の宗教的行為は、国家的・公的性格をもたない内廷行為(私事)とされた。憲法と同時に、新しい皇室典範が施行され、皇位の男系男子による継承、天皇の終身在位などが規定された。

[村上重良]

 2017年、天皇の退位等に関する皇室典範特例法が成立し、2019年に今上天皇から皇太子への譲位が行われた。

[編集部]

天皇の衣食住

衣生活

奈良時代には、礼服として唐風の袞冕(こんべん)が用いられた。袞は赤色の袞竜の文様のある衣で、冕は冠である。平安時代には、初めて天皇の衣服が規定され、神事の祭服には帛衣(はくい)、礼服には袞冕を用い、それ以外には束帯の黄櫨染(こうろぜん)の袍(ほう)を着用した。また略装として裾(すそ)の長い御引直衣(おひきなおし)があった。のち礼服は、もっぱら即位礼に用いられるようになった。江戸時代には、即位礼に帛御服(はくのごふく)、神事に斎服を用い、日常は、御金巾子(おきんこじ)の冠に、白羽二重小袖(はぶたえこそで)、緋(ひ)の切袴(きりばかま)を着用した。江戸中期からは、冠は纓(えい)が直立した立纓(りゅうえい)の冠が用いられた。明治維新後は、祭祀、儀式に束帯、小直衣などを用いるほかは、洋服となり、陸軍式、海軍式の各種軍装が定められ、またモーニング、背広なども用いられた。現代では、儀服に束帯などが用いられるほかは、日常は背広、礼服には燕尾(えんび)服、モーニング、タキシードなどが着用される。

[村上重良]

食生活

平安時代以来、天皇の食事は、台盤に銀の食器をのせ、御飯、羹(あつもの)、魚貝、海草、木菓子、唐菓子などを調進した。江戸時代には、日常の供御(くご)と年中行事の供御があり、日常の食饌(しょくせん)では、白木の三方に染付の茶碗(ちゃわん)をのせ、土器の蓋(ふた)、楊箸(やなぎばし)を用いた。年中行事の供御には、元日の烹雑(ほうぞう)など独特のものがある。明治以後は宮内省大膳(だいぜん)寮、現代では宮内庁管理部大膳課が食饌を調進する。

[村上重良]

住生活

平安時代には、初め内裏の仁寿殿(じじゅうでん)が天皇の住居であったが、平安中期以降、寝殿造の清涼殿にかわった。江戸時代には、書院造の常御殿が住居となった。明治維新後は、東京の皇居内の西の丸が住居であったが、火災で焼失後、1889年(明治22)明治宮殿が成って、書院造の常御殿が住居となった。敗戦後は、洋風の御文庫が住居となったが、1961年(昭和36)新宮殿が完成し、吹上(ふきあげ)御所が住居となった。

[村上重良]

『児玉幸多編『天皇』(1978・近藤出版社)』『村上重良著『天皇の祭祀』(1977・岩波書店)』『井原頼明著『皇室事典』(1938・冨山房)』


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百科事典マイペディア 「天皇」の意味・わかりやすい解説

天皇【てんのう】

〈天皇〉号は,日本列島上の最初の本格的国家である,律令国家の君主の称号として,7世紀後半,国号の〈日本〉とともに制度的に定着したと推定されている。天皇号以前の呼称には,〈オオキミ(大王)〉と〈スメラミコト〉があった。〈大王〉の語は,稲荷山古墳出土の大刀の雄略天皇をさすとされる銘にみえることなどから,5―6世紀には,大和・河内地方を基盤とする豪族連合〈ヤマト政権〉の首長の称号として用いられていたと考えられている。これ以前,5世紀に〈倭の五王〉が中国に遣使したことが《宋書》などに載るが,この五王をヤマト政権の大王たちに比定することについてはなお検討を要する。6世紀中葉に大王の権力はさらに強化され,大王の都の建設,直属の軍事力や財政組織の整備がなされ,初期の官制(推古朝に冠位十二階の制に発展)も始まったとされる。もう一つの呼称〈スメラミコト〉は,日常語からの延長である〈オオキミ〉に対してより公式的・儀礼的で,王権を聖別する用語として機能したが,この6世紀末から7世紀初めのころに定められたと考えられている。645年から始まる大化の新政において王権の地位はいっそう高まり,壬申の乱以後,天武天皇のもとで律令国家が形成される。律令制下の天皇は中国流の皇帝として位置づけられており,この号も唐の皇帝の称号として用いられたものだったが,特定の家系に独占的に世襲される〈天皇〉の地位は,易姓(えきせい)革命を含む中国の皇帝観念とは根本的に相容れない。また律令制下の天皇は,中国にならった中央集権的官僚制の上に立つ政治的君主であると同時に,皇祖神など日本固有の神々をまつる祭祀執行者としての権威を身にまとう存在である。神話や伝説を天皇中心に構成しなおした《古事記》《日本書紀》の編纂は,この権威を高めるものだった。律令国家の変質に伴って行われた天皇の外戚による摂関政治や,元天皇たる上皇・法皇による院政の時期,天皇は政治の実権から離れることがあったが,儀礼・祭祀の執行者としての権威は保持された。12世紀に東国に武家政権が樹立されると,公武両権力が東西に並立する様相を呈した時期を経て,公家政権の権限はしだいに武家側に取り込まれていき,後醍醐天皇の公武一統政権(建武新政)の崩壊の後,南北朝期の終わりには,天皇は実質的な政治権力と経済的基盤をほとんど失っていた。しかし,元号の制定などの時間の支配権や,形式的に維持されていた官位の授与権は以後も天皇が保持し続けた。また,芸能民が持ち歩いた物語や伝説などをとおして,中世末期,民衆の間に天皇の像はある程度浸透していたとされる。その天皇にかわって,律令制以来の国郡の制度の上に立って〈公〉を体現するような権威は,日本列島上に結局生み出されなかった。天皇が戦国期,織豊政権期を経て江戸期に至るまで生き延びることができたのは,そのためだろうとされる。江戸期の天皇は,幕府の規制・監視のもと,名目的な儀礼を遂行する役割を担う存在でしかなかったが,幕府の武威が失墜するとその権威は再び浮上し,列強による侵略への危機意識のなかで,尊王攘夷(じょうい)運動倒幕運動などの軸とされた。明治維新後,新政府は天皇を近代国民国家建設に向けた人心収攬(しゅうらん)のかなめとし,大日本帝国憲法では,統治権を一身に掌握した(大権事項),国家の元首,神聖不可侵の存在とした。以後天皇の意志(合意)が,近代化,産業化,また大陸侵略,太平洋戦争の開戦,そして降伏に至る日本の政治のよりどころとなった。戦後,天皇は〈人間宣言〉を行い,日本国憲法では,日本国および日本国民統合の象徴であり,国政に関する権能を持たないとされるが,天皇制は存続した。→天皇制天皇制ファシズム
→関連項目大王寛平御遺誡騎馬民族説行政長官公方皇后尊王論帝紀天皇機関説道教非常大権風流夢譚事件真継家

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「天皇」の解説

天皇
てんのう

日本の古代以降の君主の称号。天皇の固有名(諡号(しごう)など),代数,在位時期,陵,世系は,1870年(明治3)に追尊された弘文天皇などを含めて,「皇統譜」により定められている。天皇の語(和訓はスメラミコト)は中国の道教思想などから採用したもので,7世紀前期あるいは7世紀末に大王(おおきみ)にかわる称号として使用されるようになり,天皇の先祖とされる大王らにも天皇号が付与された。「古事記」「日本書紀」によれば天皇の始祖は紀元前7世紀の神武天皇とされるが,中国史料や金石文で存在が確認されるのは5世紀の大王からである。天皇の地位がどのような経過で確立されたかについては,邪馬台(やまたい)国の所在や前方後円墳の成立をめぐる問題ともからんで未解明の点が多い。ともあれ天皇が宗教的権威を背景に官人任免権,外交権,軍事指揮権を行使する国家統治の体制が律令制度として7~8世紀を通じて確立された。天皇の権力は外戚たる摂関や退位した院がかわって行使することがあったが,統治の主体としての天皇の地位は維持されていった。12世紀末に鎌倉幕府がうまれ,以後,江戸幕府に至るまで武家支配がつづくと,外交権・軍事権は天皇の手を離れ,文官・武官の形式的任免権と改元の決定,暦の頒布など,限られた権限を行使する権威的な地位となった。皇位の継承をめぐって幕府の関与を招き両天皇の併立する時期もあった。19世紀に開国問題で国論がわかれると,天皇は幕府に反発する勢力に擁されて王政復古の名で近代国家を形成する中心となり,大日本帝国憲法で立憲君主制の頂点に位置づけられた。第2次大戦後,日本国憲法で天皇は日本国と国民統合の象徴と定められた。昭和天皇は皇統譜で124代とされているが,実在の疑われる天皇や両天皇併立時代を考えると,天皇の代数は不明というしかない。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天皇」の意味・わかりやすい解説

天皇
てんのう

日本の歴代の君主の称号。元来は中国のことばで,万物を支配する皇帝の意味をもつ。日本以外では,中国で唐の高宗が称したほかに例がない。日本の初代の天皇は,『古事記』や『日本書紀』では神武天皇とされるが,天皇という呼称の成立期は推古天皇時代,天智天皇時代,天武天皇持統天皇時代の三説がある。律令制のなかや,あるいは明治初期の外交関係の公文書では,皇帝という称号を用いたこともある。明治憲法下では,統治権を総攬する絶対権力者として規定されたが,1946年の日本国憲法では「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と規定され(1条),国家の機関として果たす権能も象徴たる地位に相応する,きわめて限定されたものとなっている。(→国事行為天皇機関説

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旺文社日本史事典 三訂版 「天皇」の解説

天皇
てんのう

古代以来の日本の君主
時代により性格が異なる。祖先については,大和土着の豪族・北九州の豪族・渡来人などの諸説がある。4世紀ごろ大王 (おおきみ) と呼ばれるようになり,6〜7世紀推古天皇のころ隋との国交の中で「天皇」の称号が現れた。大化の改新ののち律令制の成立に伴い,天皇中心の中央集権国家が確立した。しかし荘園が広がるにつれ,摂関政治から院政・鎌倉幕府の成立・承久の乱・両統迭立 (てつりつ) を経て,古代天皇制は没落した。建武の新政によって天皇権力は一時的に復活したが,南北朝,室町時代,戦国時代を経て,江戸時代には天皇の権威は政治的にはまったく失われ,伝統的・儀礼的権威と化し,禁中並公家諸法度によって天皇は私生活まで規制された。だが幕末になると政情の急激な展開の中で尊王論が台頭し,明治維新が行われた。維新後,天皇の権力は高まり,大日本帝国憲法によって「万世一系・神聖不可侵」の君主となって近代天皇制が確立した。第二次世界大戦後,天皇の性格は一変した。1946年の天皇人間宣言でみずから神格を否定し,日本国憲法では「天皇は日本国民統合の象徴」と規定された。

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世界大百科事典 第2版 「天皇」の意味・わかりやすい解説

てんのう【天皇】

日本国憲法に定める日本国および日本国民統合の象徴。
〔天皇の歴史〕

【前近代の天皇】

[オオキミとスメラミコト]
 〈天皇〉は〈オオキミ〉とも〈スメラミコト〉とも呼ばれた。しかしこの二つの日本語は決して同義ではなく,むしろ両者の質の違い,それぞれの用いられる次元の相違に注目することが,〈天皇〉の歴史性に近づいてゆくための一項目となろう。まずオオキミは〈大いなる君〉の意で,キミはまた〈カミ=上〉と通ずる古来の日常的尊称であった。

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世界大百科事典内の天皇の言及

【則天武后】より

…さすがの高宗も武氏の立后を後悔し,664年(麟徳1)の年末に廃立を断行しようとしたが,失敗に終わった。674年(上元1)8月には,皇帝を天皇と称し,皇后を天后と称することを宣し,その年末には12条からなる独自の政治方針を発表した。また周囲に文学の才ある知識人,元万頃,劉禕之ら(北門学士)を集め,《列女伝》《臣軌》などを編集させ,政治にも参画させた。…

【道教】より

…その大きな理由としては,日本には神代の遠い昔から固有の宗教的思想信仰として〈神道〉があり,受け入れる必要がなかった,もしくは受け入れることを拒んだからであるとされる。しかし,この〈神道〉という言葉(概念)は,その教義の中枢をなす〈大神〉(天照大神),〈神宮〉(伊勢神宮),〈斎宮〉や,〈神器〉(三種の神器),さらに〈天皇〉〈上皇〉〈大内〉〈仙洞〉〈紫宸〉〈大極〉などの言葉と同じく,もともとは中国語(漢語)であり,中国古代の宗教思想概念,つまり道教の神学用語であった(初見は《易》の観卦の彖(たん)伝)。
[記紀にみられる影響]
 〈神道〉という中国語を日本古代で初めて用いているのは,720年(養老4),元正天皇の時代に成った《日本書紀》であるが,《書紀》で用いられている〈神道〉の語の意味内容は,中国の後漢の時代の中ごろ,山東琅邪(ろうや)で成立して〈神書〉とよばれていた《太平清領書》(道教の一切経《道蔵》に収載する《太平経》)のなかで多く用いられている〈神道〉の語の用法に近い。…

【明神(現神)】より

…現に姿をあらわしている神の意で多く天皇に用いられる。〈あきつみかみ〉ともいう。…

【王朝交替論】より

…日本古代の天皇の系譜は,明治以後強調されたような万世一系ではなく,何回か政治勢力に交替があったとする説。かつて津田左右吉が,《古事記》《日本書紀》には,仲哀天皇と応神天皇の間で一つの段落があり,仲哀以前は天皇の系譜が父子相承となっていたり,天皇の称号だけで諱(いみな)を欠いているなど,実在性に乏しく,6世紀の帝紀(ていき)に記されていたのは,応神より後の天皇であろうとしたことにはじまる。…

【王土思想】より

…中国の影響のもとで国家の統一を進めた日本は,律令制の受容とともに,公地公民制を基礎づける思想として王土王民思想をとりいれたが,その根本にあるの観念が十分に理解されなかったためか,政治思想としての展開はみられなかった。日本では,中国の場合に比して異民族との対立意識が薄く,天皇に対立する強力な王権が早い時期に姿を消していたためか,記紀の神話は,日本の国土は高天原の神々の力によって生成し,天皇は神々の中心である天照大神の子孫として地上に降ったという説明で天皇の支配を正当化している。したがって,天孫降臨以来万世一系の天皇という観念のもとでは,諸王権の対立抗争の中から,一元的な王権が成立することを正当化する王土王民思想は,実質的には受けいれられにくく,天皇の支配する人民を,〈おおみたから〉ということばであらわす場合に,王民思想が連想される程度にとどまった。…

【熊沢天皇】より

…第2次大戦後,南朝の正統な皇統の継承者と名乗り出た熊沢寛道(1889‐1966)の通称。1946年(昭和21)1月18日,GHQは名古屋市千種区で雑貨商を営む熊沢寛道が後亀山天皇第19代正統者と名乗り出たことを発表した。熊沢は1945年末,GHQ翻訳部を訪問して系図等を提示しながら南北朝時代以来の歴史を語り,自分こそ天皇家の正統者であると主張し,現天皇を追放して自分を即位させるよう要請した。…

【元首】より

…元首を,君主のように世襲によるものとするかどうか,合議機関(例,旧ソ連邦最高会議幹部会)とするかどうか,また実質上行政の首長として国政を統轄するものとするかどうかは,それぞれの国の憲法の定めるところによる。明治憲法では天皇は〈国ノ元首〉(4条)として統治権を総攬したが,日本国憲法では天皇は主権者・統治権者としての地位から象徴の地位に変わり,対外面でも全権委任状・信任状,批准書その他の外交文書の認証,外国の大公使の接受など限られた国事行為を行うにとどまる。したがって,天皇を元首とみることは困難で,むしろ外交関係の処理や条約締結の実権をもつ内閣が元首的地位に近いといえるが,それも決定的ではない。…

【国事行為】より

…日本国憲法が天皇に権能として認めた〈国事に関する行為〉の略称。現憲法は,天皇を〈日本国の象徴〉〈日本国民統合の象徴〉と定めたが(1条),その天皇が公的になしうる行為は,憲法の定める国事行為に限られている(4条1項)。…

【御真影】より

…明治以来,第2次大戦に敗れるまでの天皇の写真を言う。正式には御写真と言ったが,一般には御真影という言葉が使われた。…

【宗教】より

…この点は,神の領域と政治の領域とを原理的に峻別しようとした西欧の伝統とは根本的に異なるところであって,日本人の宗教意識に世俗的な性格が認められる重要な理由の一つである。これは換言すればマツリ(宗教=聖)とマツリゴト(政治=俗)の相互補完の関係といっていいが,それは日本の天皇が皇祖神をまつると同時に国民統合の象徴的地位にあるという二重の役割をはたしていることにもあらわれている。こうして神における祟り性と守護性のアンビバレントな性格は,日本における宗教と政治の相互浸透性,聖と俗の重層的な互換性の心理的な基盤をなしているといえよう。…

【昭和天皇】より

…第124代に数えられる天皇。名前は裕仁,幼称は迪宮という。…

【尊王論】より

…通常は江戸時代,とくに幕末における天皇尊崇の思想をいう。天皇尊崇の思想は強弱の波はあれ日本史に一貫して見られるが,時代によってそのあり方がかなり異なる。…

【大婚】より

…天皇の結婚。大宝・養老令制によると,後宮には嫡妻である皇后のほかに,妃・夫人・嬪(ひん)がおかれ,皇后は内親王に限り,その他は貴族出身の女子としたが,大婚の儀制は制度的にも実際的にも明らかではない。…

【大喪】より

…天皇,皇后等の葬儀。1924年制定の皇室喪儀令において,天皇・太皇太后・皇太后・皇后の死を崩御と称し,その葬儀を大喪と規定した。…

【勅】より

…天皇の意志またはことば,あるいは律令などに一定の発行手続が定められている勅書。前者の勅が律令制成立以前から行われていたことは《日本書紀》によって知られるが,金石文にも天智7年(668)の船首王後墓誌に,舒明天皇のとき,勅により大仁品を賜ったことが見える。…

【天王】より

…とくに北周のそれは古代の周の模倣である。なお日本の天皇号の起源を天王に求める説がある。【谷川 道雄】。…

【天下】より

…それゆえ,〈天下〉の語は普遍性の語感を伴い,同時に,〈天下の人心〉〈天下の嘲り〉の句の示すごとく,ある権威を感じさせる。日本では,元興寺塔露盤銘(596)に〈大和国天皇斯帰嶋宮治天下〉とあるのをはじめ,遅くも6世紀末以降天皇に関して〈治天下〉と表現した例が多く,《古事記》も各天皇について〈……の宮に坐しまして天下(あめのした)治(し)らしめしき〉と反復している。すなわち,こうして天皇を中国の天子に類比し,その統治対象たる日本列島の一部を全世界とみなし,そこにおける最高支配者であることを主張したのである。…

【天皇機関説】より

美濃部達吉によって代表される。この学説の特色は,〈統治権は天皇に最高の源を発する〉という形で天皇主権の原則を認めるが,しかし同時に天皇の権力を絶対無限のものとみることに反対する点にある。すなわち統治権は天皇個人の私利のためではなく,国家の利益のために行使されるのであるから,国家はその利益をうけとることのできる法人格をもつもの,したがって統治権の主体であり,天皇は法人としての国家を代表し,憲法の条規に従って統治の権能を行使する最高〈機関〉であると規定する。…

【天文道】より

…当時,天文に関する図書は関係者以外は見ることを許されず,また天文生は観測結果を他人にもらすことを禁ぜられるなど,厳しく規制されていた。これは天文現象がすなわち天皇の治政の善悪を反映するものと考えられていたからである。異変は密封して奏上された。…

【不敬罪】より

…天皇や皇族あるいはその墓などに対しその名誉を毀損する行為を処罰する罪名。不敬罪は,近代天皇制国家の成立にともない1880年(明治13)7月17日に公布された刑法典(旧刑法と呼ぶ)の第2編第1章〈皇室ニ対スル罪〉のなかに登場し,1907年の旧刑法全面改正(1908施行。…

【律令法】より

…律令法は貴族層が,その特権と支配を維持するための法であるから,賤民制度をふくめた全体の身分の体系は,法によって明確に規定しておく必要があった。 律令法によって規定された身分秩序において,独特の地位を占めているのは,天皇の地位である。律令においては,天皇の地位,権限その他については,なんらの規定がない。…

※「天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報

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