増田胤次(読み)マスダ タネジ

20世紀日本人名事典 「増田胤次」の解説

増田 胤次
マスダ タネジ

大正・昭和期の耳鼻咽喉科学者 東京大学名誉教授



生年
明治20(1887)年6月29日

没年
昭和39(1964)年6月5日

出生地
埼玉県

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治43年〕卒,東京帝大大学院〔大正1年〕入学

学位〔年〕
医学博士(東京大学)〔大正13年〕

経歴
明治44年陸軍軍医、大正3年陸軍軍医学校教官、8〜10年スイス留学。13年東大耳鼻咽喉科教授、昭和17年同大附属病院長、27年名誉教授。宿題報告「副鼻腔疾患と眼との関係」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「増田胤次」の解説

増田胤次 ますだ-たねじ

1887-1964 大正-昭和時代の耳鼻咽喉科学者。
明治20年6月29日生まれ。陸軍軍医学校教官をへて,大正13年母校東京帝大の教授となる。昭和17年同大付属病院長。昭和39年6月5日死去。76歳。埼玉県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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