( 1 )中世ヨーロッパにおける大学の発生、発展とともに次第に制度化されていったもので、明治初期、欧米諸国の学位制度が日本に導入された時には、「位級」「等級」などと訳されていた。
( 2 )①の挙例「文部省雑誌」のように当初は今でいう「学士」を指しており、明治一二年(一八七九)、東京大学三学部の学位授与式では、卒業生に学位として「学士」が与えられた。同二〇年、学位令が公布され、それによって、学位はもっぱら「博士」に限られることになった。
一定の教育課程を履修し試験に合格することによって学業を修めた者、または、学術上価値のある研究を行い論文や著書の公刊もしくは研究プロジェクトを完成した者、あるいは学術上および教育上顕著な功績ある者に、大学あるいは高度な専門教育研究機関によって与えられる称号。例外的に、その認可機関である国家が直接に授与することもある。この定義から、学位には、修得学位earned degree(日本の課程博士(はくし)、修士、学士、短期大学士)、研究学位(論文博士)、名誉学位の3種類が区分され、博士、修士、学士、短期大学士の学位のほか、国によって準学士や各種の中間学位などが授与される。広義には、研究学位は修得学位に含めることができる。
[金子忠史・舘 昭]
学位制度(アカデミック・ディグリーacademic degree)の起源は、9世紀に早くも、イスラム教圏を中心にイヤザijazahと称する学位が、テーマ別に師匠によって個別的に授与されたことに由来すると指摘する説もあるが、定説は、ヨーロッパの中世大学の形成期にあるとされる。12世紀に修道院や本山学校における古典学の研究が起因となって発生したストゥディウム・ゲネラーレstudium generaleが、大学の淵源(えんげん)で、学生組合のボローニャ大学も、教師組合のパリ大学も、ともに教皇や皇帝から勅許を得て、キリスト教世界全体に通用する「万国教授資格」jus ubique docendiの授与権、すなわち、学位または免許licentiaを教授資格者に与える特権を有していた。したがって学位は、教師組合への加入inceptioと教授免許を保証するものであった。この学位を有する教師は、現代英語表記ではマスターmaster、ドクターdoctor、およびプロフェッサーprofessorにあたる称号でよばれ、同義語に用いられた。ドクターの指導下にある学生が、一定の段階に達すると、学頭(レクトール)から、「講読許可」を得て特殊講義を担当し、一定の試験に合格してのちバチェラーbachelorとなった。さらに個人試験に合格し、公開試験に進むことを認められた者は、現代フランス語表記ではリサンスlicenceにあたる称号でよばれ、ドクターとなるための一つの資格となった。かくして13世紀末までにバチェラー(学士)、リサンス(許士)、マスター(修士)あるいはドクター(博士)の学位の体系が確立した。
日本の学位の起源を、直接的に近代以前に求めることはきわめて困難である。同じ大学といっても、明治以降の欧米風のユニバーシティuniversityを大学と公称して、今日の大学の概念に定着したものに対し、それ以前の中国古代の大学にその源流が求められる上代の大学寮を起点とする大学の概念や、江戸時代の昌平黌(しょうへいこう)などとは、それぞれ趣(おもむき)を異にする。確かに、最高の学術的な教育機関という意味では相通ずるものがあるが、その起源や意義および本質は異なる。すなわち、唐の律令(りつれい/りつりょう)制度の全面的な移入という形で、国子監の制度(晋(しん)の武帝276年設立)を模倣した大学寮は、儒教主義を基調とする官吏養成機関であり、かつ官庁としての性格をもっていた。教官の名称に博士(はかせ)のことばがみられるが、これは官職としての地位を示し、学位の性格をもつものではなかった。以後、明治の学位制度確立まで、ヨーロッパ的な意味での学位制度の発達はみられなかったと考えられる。
[金子忠史・舘 昭]
まず旧制学位制度の端緒となったのは、1872年(明治5)制定の「学制」に規定された5段階の学士の称号および翌1873年改定の博士(はくし)、学士、得業士の三等の官立学校教員の称号である。1878年に文部省より東京大学に学位授与の権を与える旨の通達があり、1877年の卒業生にさかのぼって、法・理・医の3学部の学生92名に最初の学位として学士号が授与された。得業士、博士も学位とされたが、適用されなかった。1887年の学位令によって、博士および大博士の二等とし、学士は学位外称号となり、得業士は廃止された。もっとも国際的な定義からすれば、この後の学士も「学位」ということができる。博士は、大学院に入って定期の試験を受けた者、またはこれと同等以上の学力ある者に、帝国大学評議会の議を経て授けられ、大博士は、博士のなかから選考して学問上とくに功績ある者に閣議を経て授けられるものとし、いずれも授与権者は文部大臣であった。1898年の学位令改正で廃止されるまで、大博士は適用されることはなかった。1918年(大正7)の大学令では、官立のほか公立および私立の大学の設置が認められた。さらに1920年の学位令によって学位授与権は各大学にゆだねられ、博士の学位の種類や審査手続は各大学で定めることとし、学位論文の広義の解釈の採択と論文の一定期間内の印刷公刊を義務づけた。この学位令は、旧制大学研究科の存続した1962年(昭和37)3月まで、学校教育法による新制学位規則と並行して適用された。
このように、近代の博士(はくし)は欧米のドクター学位を模してつくられたが、その名称に律令制からくる博士(はかせ)の名称を用いたことから、「末は博士か大臣か」ということばに象徴されるように、碩学(せきがく)泰斗の名誉的な称号という意識が生まれ、今日に至る学位制度混乱の原因をつくった。
[金子忠史・舘 昭]
第二次世界大戦後、学制改革による新制大学が発足し、学位制度も変わった。1947年(昭和22)制定の学校教育法、大学院基準、1953年の学位規則によって、新学位制度の骨格が与えられ、さらに1974年の大学院設置基準の制定などによって現行制度が形づくられてきた。旧制度では、大学院(研究科)の設置が全大学に必置であったのに対し、新制度では大学院を置かない大学の設置が認められ、大学院設置基準によると、大学院には修士課程および博士課程を併せ置くか、またはそのいずれかを置くものとした。修士課程は修業年限を2年とし、広い視野にたって精深な学識を授け、専攻分野における研究能力または高度の専門性を要する職業などに必要な高度の能力を養うことを目的としている。修士課程の修了要件は、2年以上の在学、30単位以上の修得、当該大学院の行う修士論文の審査および試験の合格、または優れた研究業績をあげた者は1年以上の在学で足りるとし、修了した者に修士の学位が授与される。博士課程の標準修業年限は5年とし、専攻分野について研究者として自立して研究活動を行い、またはその他の高度かつ専門的な業務に従事するに必要な研究能力およびその基礎となる豊かな学識を養うことを目的としている。博士課程は、前期2年および後期3年の課程に区分するものと、この区分を設けない5年一貫制とすることもできるとした。博士課程修了要件は、5年以上の在学、30単位以上の修得、当該大学院の行う博士論文の審査および試験に合格、または優れた研究業績をあげた者は3年以上の在学で足りるとし、修了した者に博士の学位(課程博士)が授与される。このほかに、5年制博士課程の前期2年修了者で、修士課程の修了要件を満たした者に修士号が、また、博士課程を修了した者と同等以上の学力を有し、大学院の行う博士論文審査に合格した者に博士号(論文博士)が授与される。学位規則はさらに、博士の学位授与後3か月以内に、その論文の内容の要旨および論文審査の結果の要旨の公表の義務を大学に、また博士号取得後1か年以内に、その論文の、またはその内容要約の印刷公表義務を取得者に課している。
臨時教育審議会(臨教審)の1986年の第二次答申に盛られた、高等教育機関の多様な発展の提案が基礎となって、以後大学審議会は、これらについて具体的な審議を重ね、1991年(平成3)2月に「大学教育の改善について」および「学位授与機関の創設について」の最終答申を行った。同年には国立学校設置法および学校教育法の一部が改正され、学士の称号を学位とすること、論文博士の根拠を法律に置くこと、短期大学および高等専門学校卒業者に準学士号を授与することなどとともに、学位の授与権者に学位授与機構が加えられた。これにより、同年7月には学位授与機構が発足し、短期大学、高等専門学校の卒業生などでさらに大学の科目等履修生として学修を積んだ者、および各省庁の大学校認定課程修了者に対して、学位授与の審査を行った。
[金子忠史・舘 昭]
2000年(平成12)4月、学位授与機構は学位授与に加えて教育機関評価の業務も行うこととなり、大学評価・学位授与機構へと改組。2004年4月には独立行政法人化された。さらに2016年4月、大学の教育・研究活動と経営改革支援とを一体的に行うことを目的として国立大学財務・経営センターと統合し、大学改革支援・学位授与機構となった。
また、2005年に学校教育法が改正され、短期大学卒業者には準学士の称号にかわり短期大学士の学位が授与されることになった。
[編集部 2024年3月19日]
学位には、二年制短期大学卒の準学士(Associate)、四年制大学の学士(Bachelor)、大学院1年以上の修士(Master; M.A.; M.S.; M.B.Aなど)、同3年以上の博士(Doctor; Ph.D.など)、学部とあわせて6年以上の第一専門職学位(Doctor of Medicine; Doctor of Lawなど)の基礎的な種別のもとに、スペシャリストSpecialistやエンジニアEngineerなどの各種の中間学位がある。学位審査・授与機関は、各大学、および近年は大学の連合体が加わっている。アメリカでは、学位の概念は、単に研究者の称号としてではなく、高等教育機関で養われる高度な職業能力を表す称号として、重要な社会的機能を担っている。
[金子忠史・舘 昭]
学位には、3、4年の大学の学士(普通と優等の2種)、大学院1年の修士、大学院3年以上の博士、および著作・論文の審査で授与される上級博士Higher Doctoratesがある。学位授与機関は各大学以外に全国学位評議会(CNAA)があり、ポリテクニック、教育カレッジ、継続教育カレッジの卒業生の学位認定を行っていたが、1993年にポリテクニックが大学に昇格したのを機に廃止された。
[金子忠史・舘 昭]
大学のほか、グランゼコールで学位が授与される。大学では、入学後2年の第1期課程修了者に大学一般教育修了ディプロムDiplôme、それに続く第2期課程最低1年での許士(リサンスLicence)が授与され、許士取得後1年以上で取得できる修士(メトリーズMaîtrise)があり、それぞれ準学士、学士、修士に該当すると考えられる。これより上の第3期課程では、まず研究深化ディプロムDiplôme d'Etude Approfondieがあり、原則として1年で取得できる。博士号は、このディプロムの取得後、3~5年で論文を提出して、口頭試問に合格した者に授与される。また、グランゼコールでは、おもに英語のエンジニアにあたるアンジェニウールIngénieurが授与される。
[金子忠史・舘 昭]
大学の学位には、得業士Diplom、修士Magister、博士Doktorがある。大学生は、医師、教師などの特定の専門職分野では州試験Staatsexamenの合格が卒業条件になるが、ほかの分野では大学の授与する得業士または修士の学位を得る。両者はともにその取得に4年以上を要する同レベルの学位であり、歴史的には前者が工学、後者が人文学で用いられたが、現在では大きな違いはなくなっている。さらに上級の学位に博士があるが、博士試験を受験するには4~5年の該当分野での学習と、1年程度の該当機関での在籍を課され、通常はその完成に3年を要する博士論文を完成していなければならない。
[金子忠史・舘 昭]
『H・ラシュドール著、横尾壮英訳『大学の起源』(1968・東洋館出版社)』▽『大久保利謙著『日本の大学』復刻版(1981・日本図書センター/1997・玉川大学出版部)』▽『文部省大臣官房調査統計課『教育指標の国際比較』(1981年版)』▽『B.Clark & G.NeaveThe Encyclopedia of Higher Education(1992, Pergamon Press, UK.USA.KOREA.JAPAN)』
専門的な学問を修得したこと,あるいは学術上の創造的業績をあげたことを証明するために,大学または国家が与える称号。日本では学士,修士,博士(はくし)の三つがある。学士がたんなる大学卒業を証明する称号であるのに対し,修士,博士はそれより高級の威信をもつものとされる。
博士をはじめとする学位制度の起源は中世ヨーロッパの大学にある。しかし,たとえば日本の博士学位の起源は,少なくともその名称からいえば,唐の制度にならった古代大学寮の博士(はかせ)制度にある。つまり学位制度は,ヨーロッパ系と,中国系とに二分される。ヨーロッパ中世の大学では,英語でドクターdoctor,マスターmaster,バチェラーbachelor(今日の学士)という三つの学位が生まれていた。このうち,ドクター(ラテン語doctor)はdoceo(教える)を語源とし,大学の教師資格を証明する称号であった。マスター(ラテン語でmagister,フランス語でmaître)は親方,主人という語であり,転じて校長,教師といった意味をもつ。一方,バチェラーはもともと,領主の家臣でまだ知行,封土をもたない騎士や,耕地をもたずに主人の屋敷に住む成人の農奴などを意味した。大学はこれをとり入れて,一人前のドクターやマスター(教師)になってはいないが,教師の監督下に授業の一部を担当する中間身分の学生をバチェラー(baccalarius,bachilariusなどのラテン語があてられていた)とよぶようになった。学位の用いられ方には国による差があり,法学の伝統の強い北イタリアの諸大学ではドクターの学位が重んじられる一方,フランスではマスターの学位が重視されたようである。他方イギリスでは,神学,法学,医学という伝統的な学問の学者にはドクターの学位を与え,教養学,文法学などの補助的な学問の専攻者にはマスターの学位を与えるという区分を行った。こうした中世の歴史をへて,近世,近代の学位制度が定着してきたとみられる。
ドクターを中心とする近代の学位制度が定着するには,二つの契機があったとみられる。第1には,19世紀初めのドイツ近世大学の形成(ベルリン大学が代表的)である。それは,神,法,医といった伝統的学問に対して,哲学Philosophieの優位を主張したものであり,そのことから,学位の典型はPh.D(哲学博士,doctor philosophandi)とされるようになった。第2の契機は,このドイツの学位制度が,イギリスの大学の影響を強くうけたアメリカの大学に移入されたことである。アメリカは19世紀の半ばあたりから,ドイツにならって大学の機能として研究および研究者の養成を重視し,大学院の制度を発展させていた。そして,ドイツ型のPh.D中心の学位観を導入する一方,大学院の下級課程を修了した者にはマスターの学位を与えるという方向をとった。こうして成立したアメリカの学位制度は多くの国に普及し,その影響が第2次世界大戦後の日本に及んできたのである。
ところで中国では学位制度はあまり発達せず,むしろ科挙制度に示されるように,国家官僚の資格制度の方が重視された。日本の古代大学寮制度は中国の制度にならったものであるが,前述の博士学位は,大学の教官資格ないしは専門的技能の修得証であった。しかし貴族社会の中で高い地位は与えられず,また博士の学位はむしろ世職として,ある家に代々うけつがれるものとなった。明治維新直後,政府は古代の制度と欧米の制度を混然一体とする形で,博士,学士,得業士といった学位制度を構想したことがあり,次いで明治10年代末までは大学(東京大学,工部大学校)の卒業生に与える学士という称号を学位とみなすという方針をとったりもした。
日本が近代的な学位制度を導入したのは1887年(明治20)である。この前年には帝国大学が創立され,その中に大学院がおかれることになった。その大学院の修了者または学術上の功績の顕著な者を,文部大臣が帝大評議会に推薦して,博士学位を与える(授与権者も文部大臣)という制度で,博士の会議の議をへて大博士も授ける,というものであった。これにともない,学士号はたんなる称号となり,学位ではなくなった(ただし,大博士号を授けられる者はなく,空文に終わった)。この博士本位の学位制度は第2次大戦直後まで続き,いわゆる旧制学位制度とよばれる(ただし学位授与権は,大正末期から大学の手に移った)。旧制博士号の種類は,最終的には法・医・薬・工・文・理・農・林・獣医・経済・経営・商・政治・神の14種類であり,累計8万9857名が博士学位をうけた。ただし,そのうち医学博士が6万9672名(約78%)と異常に高い割合を占めたこと,大学院修了のうえ学位をうけた者がきわめて少なく(判明している数字では約3%),大学院制度とのつながりが少なかったことが特徴である。
1949年,スクーリングを基礎とした新制大学院制度が明確化されると,大学院の初期2年間の履修を証明する学位として,アメリカにならって新しくマスターの学位が導入されることになり,その訳語が〈修士〉と決まった。博士学位については,博士課程の履修修了を原則とするが,論文提出によるものも残した。前者を〈課程博士〉,後者を〈論文博士〉と称している。91年に学位に関する制度が大幅に変更され,従来たんなる称号であった学士も学位の一種となるとともに,〈科目等履修生制度〉が創設され,規定の科目単位数を取得した者には,学位授与機構(1991年7月,学位授与機構組織運営規則により創設された文部省の機関)において学士学位が授与されることになった。これと併せて,法学博士,医学博士といった分野ごとの称号の区別はなくなり,単純に学士,修士,博士との名称で呼ぶことになった。学位審査権は,学士については学部教授会またはこれに代わる教員会議に,修士学位は修士課程をおく大学院の研究科委員会に,博士学位は博士課程の大学院をもつ大学の研究科委員会にそれぞれおかれており,学長が与えるものとなっている。
学位制度は制度それ自身の問題よりも,その制度の運用に問題があると指摘されている。その一つは,文科系の博士学位のレベルが戦前のなごりであまりに高すぎ,若手の研究者になかなか授与されないこと,その一つの結果として開発途上国からの留学生への授与が困難で国際的に閉鎖的であることなどのほか,医学,工学等の領域では学位授与と研究者への支配・統制が結びつきやすいこともしばしば問題とされる。ただし,課程博士の授与の拡大については,近年各大学でかなりの改善が進みつつある。
執筆者:寺﨑 昌男
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…大学卒業者に与えられる学位。新制大学発足時は24種,旧制大学時代は12種であった。…
…〈大学〉をさすuniversity,〈教師〉をさすmasterなどの現代語は,本来は単に〈団体〉〈親方〉というギルドの用語であった。〈12世紀ルネサンス〉とも呼ばれる12世紀の知的高揚のもとで,都市には多くの教師・学生が集まり,私塾をおこして教育活動を行っていたが,彼らはしだいに,一般の手工業者の同職組合にならってギルドを形成し,聖俗の外部権力に対して自己の特権を確立するよう闘争しつつ,内部では,共通のカリキュラムを定め所定の修了者には学位を認可するようになった。カリキュラムと学位制度に支えられた教育機関と,学徒の人的団体としてのギルドとが結合したところに,過去に類例をみない,そして現代にまで連続する〈大学〉という新しい教育組織が成立したといえる。…
※「学位」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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