百科事典マイペディア 「大王の和約」の意味・わかりやすい解説
大王の和約【だいおうのわやく】
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「アンタルキダスの和約」のページをご覧ください。
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…キュロスの軍に参加したクセノフォンのギリシア傭兵1万人退却の記録は《アナバシス》として有名である。この事件はスパルタの干渉を招いたが,前386年にスパルタ使節アンタルキダスを迎え,〈アンタルキダス条約(大王の和約)〉によって有利な解決をみた。しかし,父王末年に離反したエジプトを回復しようとする試みは2回とも失敗し,治世末期の約10年間は西方諸州のサトラップの反乱に苦しんだ。…
…前387年(または前386)スパルタとペルシアの間に結ばれた条約で,〈大王の和約〉とも呼ぶ。スパルタは小アジアにおけるキュロスKyros(アルタクセルクセス2世の弟)の反乱を支援してペルシアと対立,これに対してペルシアはテーバイやアテナイを援助した。…
※「大王の和約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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