朝日日本歴史人物事典 「大野宇右衛門」の解説
大野宇右衛門
江戸中期の砲術家。大野流砲術の流祖。諱を武範という。筑前萩尾(大牟田市)の生まれで,旧姓を片島久義といったが,自得流砲術の流祖大野佐伍右衛門吉規の養嗣子となり大野姓を襲った。享保年間(1716~36)に将軍徳川吉宗の命により鎌倉海岸に赴き,300目玉,1貫目玉の火矢玉を打った技量を認められ,西の丸御持筒組与力に召し抱えられた。このとき自得流に甲州流兵学を合わせて鉄砲中心の戦術論『神速武書』を著して流名も大野流と改めた。
(所荘吉)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報