実子以外の者に実子と同一の地位を認める〈擬制親子関係〉である。第2次大戦前の日本には〈継親子(けいしんし)〉や〈嫡母庶子〉も親子と同一の親族関係を生ずるとされていたが,現行法上は養子が唯一の〈法定親子関係〉である(民法792~817条の11)。養子には〈届出〉によって成立する普通養子のほか,1988年から施行された〈審判〉によって成立する特別養子がある。実親族関係の消滅の有無,離縁の制限の点に大きな違いがある。日本は人口比では世界で最も養子の多い国で,年間約8万件の養子縁組が成立している。
養子制度は,古い時代から行われていたが,婚姻と異なり,どこの国にもあったわけではない。前近代の日本,中国,朝鮮,およびその他の地域における養子の慣行については後述されるが,まず欧米における養子法と養子観を概観しておく。
とくにイギリスのコモン・ローでは,12世紀の裁判官グランビルRanulf de Glanville(1130ころ-90ころ)の有名な言葉〈神のみが後継ぎをつくる〉というように,伝統的に養子adoptionの観念を受けいれなかった。イギリスにおける養子法制定は1926年のことであった。また国によってはこの制度を廃止したり復活したりしている例もある(オランダ,旧ソ連)。このように養子制度が必ずしも人類にとって不可欠の社会制度でないという事実は,それがなんらかの社会的需要と結合したものであることを意味する。事実,ローマ古法では祭祀の存続が国家的重要事と考えられ,そのため後継者を欠く家長は他の家長を養子としたが(アドロガティオ),これは〈家〉の吸収合併のようなものであり,現代の養子とはその内容をまったく異にする。ローマには家長が他家の家子を養子とするいま一つの養子制度があり(アドプティオ),これは相互扶助と財産相続のために利用されたが,ユスティニアヌスの時代(6世紀)には〈自然模擬〉の観念から養親適齢,年齢差の制限を加えるとともに,縁組効果の点でも養子は養親の父権に服しない〈不完全養子〉の形態を認めた。1804年のナポレオン民法典が採用したのはこの養子形態であり,しかも成年者のみが養子となりうるという制限を加えた。その実質は〈相続契約〉〈扶養契約〉にすぎないから,とくに養子縁組による必要はなく,ほとんど活用されなかった。
養子制度に新しい局面を開いたのは,19世紀中葉,しかも養子の観念を知らぬコモン・ローの国アメリカにおいてである。19世紀前半にヨーロッパから大量の貧困移民家庭が新大陸に送りこまれ,これに伴って多くの要保護児童が発生し,その救済が大きな社会問題となった。年季奉公や施設収容にあきたらなかったアメリカの慈善運動家たちは,要保護児童をわが子のように扱ってくれる家庭を探す努力を始めた。児童を引き取る家庭はいくらでもあった。むしろ問題は,貧困家庭の親が児童を売り込み,成長した段階でこれを取り戻すことを防ぐことにあった。そのためには,養子縁組を〈契約〉ではなく裁判所の〈決定〉によって成立するものとし,養子と実親との関係を消滅させ,養子に養親の実子とまったく同一の法的地位を与える必要があった。この要請から誕生したのが1851年のマサチューセッツ養子法である。〈子の最良の利益〉の判例法を確立していたアメリカにおいてのみできたことである。その後のアメリカ養子法は,養子決定前の事前調査の充実,児童福祉機関による縁組のあっせんの強化などに力を入れ,現在ではアメリカは養子制度を最も活用している国となっている。とくに婚外子の保護はこの制度に負うところが大きい。
アメリカの〈児童保護的〉養子法がヨーロッパに導入されるには,アメリカにおけると同様の〈児童保護〉の社会的要請が必要であった。再度にわたる世界大戦のもたらした孤児の激増がその役割を果たした。第1次大戦後新たに養子法を制定したり旧来の養子法を改正する動きがめだち(1923年フランス法改正,26年イギリス法制定,同年ソビエト法復活など),第2次大戦後さらにこの動きは活発となり,1967年のポルトガル法制定をもってヨーロッパから養子法を有しない国は姿を消した。さらに76年の西ドイツ法改正をもって,ヨーロッパから当初のままの養子法もまたなくなった。この間,1950年には国際児童福祉連盟が養子法の理念と原則を宣言し(1959年の国連の児童権利宣言),64年〈国際養子縁組条約〉の成立,67年〈ヨーロッパ養子協約〉の成立をみたことが,上の動向の背景となっている。
現代養子法の特色は,イギリスのように未成年養子以外は認めない国はもとより,他の養子類型(養親子間にのみ効果を認める縁組)を併存させている国でも,要保護児童のための〈完全養子〉が中心であり,いかにして養子の福祉を確保するかに配慮が向けられている(公的機関によるあっせん,試験養子・仮養子制度,離縁の禁止・制限,出生証明書に養子の記載をしないなど)。現代養子法のいま一つの機能は配偶者の(連れ)子を養子とする親族養子であり,アメリカ(年間10万件),イギリス(年間2万件)では全養子のほぼ半数をこれが占めている。
日本には古来,生前養子のほか死後養子があり,継嗣養子のほか猶子,実子(実子貰受け)があり,縁組の種類は多様であった。明治民法は通常の養子のほか婿養子と遺言養子を認めていたが,第2次大戦後の改正で婿養子・遺言養子が廃され,養子の種類は単一になった。日本の養子制度の歴史で養子類型が単一になった最初である。養子縁組の要件は各種の需要に応じうるようにゆるやかであり,縁組効果の点では,養親の親族との関係で〈完全養子〉であるが,実親族関係が消滅しない点で〈不完全養子〉であり,諸外国のように転縁組を禁止していないから,親族関係がいくつも重複することになる。とりわけ相続権の重複は問題である。他方,戦後の改正法は縁組に対する家庭裁判所の関与を新設して,被後見人養子,未成年者養子,死後離縁をその対象にした。とくに未成年者養子の許可制度は,戦前の芸娼妓養女の弊害を防止する狙いであったが,実際の運用は名目養子や家名承継養子などの抑止に及んでおり,この制度の果たした役割は大きい。ただ,未成年者養子の許可件数は制度発足当初には年間4万件を超えていたが,その後減少の一途をたどり,1991年以降は2000件を割って,なお減少を続けている。なお,日本の養子制度の特徴については後述を参照されたい。
普通の養子縁組は〈届出〉によって成立する(民法799条,739条)。つぎの要件が必要である。
(1)養親は成年であって養子より年少でないこと(同日生れでもよい。792~793条)。
(2)子が15歳未満のときは,その法定代理人(親権者,後見人,児童福祉施設の長)が縁組の承諾をする(〈代諾縁組〉,797条)。法定代理人のほかに監護権者があるときは,監護権者の同意も要する。
(3)未成年者を養子とするには,配偶者と共同して養親となる。ただし夫婦の一方が他方の嫡出子を養子とするときは,単独縁組でよい(795条。夫婦の一方が他方の非嫡出子(嫡出でない子)を養子とする場合には実親と共同縁組をする)。夫婦の一方が行方不明あるいは心神喪失という場合を除いて,配偶者のある者は,配偶者の同意を得なければならない(796条)。
(4)後見人が被後見人を養子とする場合,自己または配偶者の直系卑属以外の未成年者を養子とする場合は,家庭裁判所の許可を必要とする(794,798条)。未成年者の養子許可の基準について規定はないが,縁組の動機や目的,養親の監護養育能力,養親子間の和合可能性などいっさいの具体的事情を考慮して,縁組が養子となる未成年者の福祉に反しないかどうかが審理される。申立却下の事例には,家名承継のためのみの縁組,越境入学のための戸籍上だけの縁組,もっぱら養親の老後の世話だけを目的とする縁組,その他未成年者の監護養育を伴わない縁組などがある。また許可審判後,届出前に養親となるべき夫婦の一方が死亡した場合には,改めて許可申立てをしなければならない。なお,家庭裁判所の許可を要しない〈自己の直系卑属〉には嫡出子を含まず,〈配偶者の直系卑属〉にいう配偶者には死亡した配偶者を含まないという取扱いになっている。
届出が受理されても,当事者間に縁組の意思がなければ(他人がかってにした届出,方便・仮装の縁組),縁組は無効であり(802条),詐欺・強迫による届出は取り消しうる(808条)。要件違反の届出も取り消しうるが,取消期間には制限がある(803~807条)。夫婦共同縁組の場合には,養親の一方のみに年長要件違反があっても他方の縁組の効力に影響はないが,養親の一方に縁組意思が欠けているときは原則として縁組全体が無効となる。ただし判例は〈特段の事情〉がある場合には縁組意思を有した養親の一方のみの縁組を有効とすることを認める。判例で特段の事情が認められたのは,夫婦が長期にわたって事実上の離婚状態にあり,夫と他の女性との間に事実上の夫婦関係が成立していて,夫と養子との間の縁組の成立が妻の意思に反することなく(黙認),妻の利益を害せず,妻の家庭の平和を乱し養子の福祉に反するものではないという事例の場合である。また生後まもなくの子を養子とする〈わらの上からの養子〉の場合,養子であることを隠そうとして実子として出生届をする例が世上ままみられるが,虚偽の嫡出子出生届をもって養子縁組届とみることを判例は認めないので,やはり縁組としては無効である。しかしいったん他人の嫡出子として虚偽の届出をしたうえ,この戸籍上の親が親権者として代諾した縁組の場合には,真実の代諾権者が届出をしていないから無効な縁組であるが,養子が15歳に達してから後に追認をすれば,縁組は有効になるというのが判例である。養子が15歳未満のときは真実の代諾権者(実親)が追認をすればよい(届出手続上は〈追完届〉をする)。
養子縁組が成立すると,養子は養親の〈氏〉を称し(810条),縁組の日から養親の〈嫡出子〉身分を取得する(809条)。また養子と養親の血族との間にも親族関係が成立する(727条)。実子の場合と同一の法律関係である。ただし親族関係の成立は縁組以後であるから,縁組前に養子に子がいる場合,この子と養親との間に血族関係は生じない。したがって,この子が養親を〈代襲相続〉することはない(887条1項但書)。他方,養子は縁組によって実親およびその血族との間の親族関係を失うことはない。
日本の養子は戦後の改正によって単一の養子類型になったが,世界の趨勢や虚偽の嫡出子出生届の問題などを背景として,縁組効果で実親子関係が消滅する養子類型の創設がかねて要望されていた。1987年に養子法が大幅に改正され,実親子関係を消滅させる特別養子縁組の制度も導入され,88年から施行された。このような養子類型は日本にもなかったわけではないが(実子貰受け),国の責任において親子関係を創設する点で画期的な制度といえる。現在のところ年間500件前後の特別養子縁組が成立している。
特別養子縁組は家庭裁判所の〈審判〉によって成立するが(817条の2),つぎの要件が必要である。(1)養親は25歳以上の夫婦が原則で,単身者が養親となることはできない(817条の3,4)。(2)養子は6歳未満が原則で,従前から養育がなされていた場合にも8歳未満でなければならない(817条の5)。(3)実父母の同意が必要であるが,実父母が意思を表示できない場合,虐待,悪意の遺棄などがある場合は不要である(817条の6)。(4)特別養子縁組は,実父母による監護困難・不適当など特別の事情があり,子の利益のためとくに必要がある場合に認められ,6ヵ月以上の期間監護した〈試験養育期間〉の状況が考慮される(817条7,8)。
特別養子縁組が成立すると,普通養子縁組と違って,実方の親族関係は終了する(817条の9)。ただし,近親婚の制限は存続する(734条,735条)。特別養子の戸籍には,普通養子縁組のように養親が記載されることはなく,実子と同様の記載がなされる。ただし,事項欄に審判による特別養子縁組成立の記載はなされる。
離縁は,養親による虐待,悪意の遺棄など養子の利益を著しく害し,実父母が相当の監護をすることができる場合で,養子の利益のためとくに必要と認められる場合にのみ,家庭裁判所の審判で行われる(817条の10)。離縁によって養親子・養親族関係は終了し,実親子・実親族関係が復活する(817条の11)。
→実子
執筆者:山畠 正男
養子縁組の法律関係は,必ずしも一国のうちに閉じ込められているわけではなく,国際性を帯びる場合が少なくない。例えば,日本に滞在するアメリカ人夫婦が日本に住む日本人の子を養子にする場合のごときである。このような養子縁組を国際養子縁組という。
国際養子縁組には,児童福祉機関などを通して養子を求める方法と,それを通さないで親族,知人間で縁組をする方法とがある。児童福祉機関としては国際社会事業団International Social Service(ISS)が活発な活動をしている。ISSは,国連経済社会理事会のB級諮問機関であり,ジュネーブに本部をもち,日本を含めて16ヵ国にその支部がある。
国際養子縁組が日本で問題となる場合,これを法的に規律するのは,日本の国際私法すなわち法例の規定である。養子縁組については,まず要件(実質的成立要件)が問題となる。法例19条1項によれば,養子縁組の要件は各当事者につきその本国法による。要件のうちには,表意能力,年齢,身分等,養親または養子の一方のみに関するものと,婚外子を養子とすることができるか,尊属を養子とすることができるか,年長者を養子とすることができるか,後見人が被後見人を養子とすることができるか,養親と養子との間に一定の年齢差がなければならないかなど,養親および養子の双方に関するものとがある。したがって,養子縁組が成立するためには,養親の本国法上,養親に関する要件および養親・養子双方に関する要件を,養子の本国法上,養子に関する要件および養親・養子双方に関する要件を,それぞれ満たさなければならない。
諸国の養子法のうちには,養子縁組のため,一定の場合には,裁判所の許可・確認等を要するとするもの,さらに養子縁組が裁判所の決定それ自体によって成立するとするものもある。これらの縁組に関する要件も双方要件に属し,養親または養子の本国法がその要件を課している場合には,それを満たさなければならない。この場合には,いずれの国の裁判所が管轄権を有するかという国際的裁判管轄権が問題となる。この点について明文の規定はないが,養親または養子が日本に常居所を有する場合には,日本の裁判所が管轄権を有し,また裁判所の決定,許可,確認等が外国で行われた場合には,養親または養子の常居所を有する国の裁判所がしたそれらは,日本において承認されると解する説が有力である。
養子縁組の方法については,法例8条に定める方式に関する一般原則による。したがって,本則として養親の本国法によるが,縁組地の法によることもできる。
養子縁組の効力については,法例19条2項により養親の本国法が適用される。この場合の本国法とは縁組当時の本国法であり,効力とは養親子関係の成立のみを意味し,その結果,養親と養子との間にいかなる法律関係が発生するかは,法例20条の定めるところによると解するのが通説である。
離縁については,法例19条2項により養親の本国法によるものとされているから,離縁の許否,方法,効力等すべて養親の本国法によって定まる。
国際養子縁組の規律に関する日本の現行法は以上のとおりであるが,これについては異なる取扱いもみられる。すなわち,養子縁組について裁判所の管轄権をまず決定したのち,その管轄権の存する地の法によるとする立場である。1964年の第10回ハーグ国際私法会議で採択された〈養子縁組に関する機関の管轄権,準拠法及び裁判の承認に関する条約(国際養子縁組条約)〉は,この立場を採り,養子縁組の宣言の管轄権は養親の常居所地の当局または養親の本国の当局が有するものとし,その要件は原則としてその国の国内法によるべきものとしている。日本はまだこの条約を批准していない。
なお,現在,法制審議会において法例の改正作業が進められているが,すでに1972年に法例改正要綱試案(〈親子〉の部)が発表され,養子縁組の規定もその中に含まれている。
執筆者:山田 鐐一
(1)古代 古代の養子は唐令の影響をうけた戸令(律令)聴養条に,子がない場合は4等以上の親で昭穆(しようぼく)に合う者すなわち父子の世代の序列があっている者を養子としてもよいと規定されている。しかし当時の法律家は本条の養子をもっぱら実男子なき場合の蔭位(おんい)継承の観点から論じており,また,《続日本紀》大宝1年(701)7月戊戌条や天平宝字5年(761)4月癸亥条にみえる養子も,実男子なき場合の功封・蔭位継承者として問題にされている。当時は嫡子により継承・相続される家が未成立で,子の継ぐ物は財産を除くと令が規定している蔭位などの貴族的特権しか存在しなかったことから考えれば当然といえる。しかしまた当時このような養子以外にも,実子がいても養い手のない子を引き取る場合,上流貴族では適当な娘のいないとき(ないしはいるときでも)しかるべき娘を養子とする場合,男子がいてもさらに養子を取る場合等もあり,一般民衆では子のない男女個人が養子(男女)を取り,おそらく老後を見てもらう代償として自己の財産を譲与している例もある。このような個人による養子の存在が先述の嫡子に継がれるべき家の不在と関連するだろう。
執筆者:関口 裕子(2)平安期~中世 律令(戸令)の規定は,少なくとも平安中期には空文化し,おそらく外来律令法の退潮下での古来の慣習法の復活と,新しい時代の要請に基づく変化とが絡み合いながら,上述のような独特の養子慣行ができていった。これらの養子慣行は,律令のように父系継嗣確保の目的に強く支配されたものではなく,継嗣となるケースを含みつつ,日本独特の双系的親族構造に対応する親子関係の維持の必要から存立していたものと考えられる。養子がしばしば猶子(ゆうし)ともいわれ,とくに相続関係のない場合,猶子ということが多かったのも,この独特な養子慣行の一面をよく示している。
平安末期から鎌倉時代以降になると,武士や庶民の養子慣行もしだいに明らかになってくる。これらも本来は貴族の慣行とほぼ同じものであり,文書や説話集に実子に加えて養子をとったり,他姓の養子を得たりする例が武士・庶民ともに多くみられ,鎌倉幕府の法典である《御成敗式目》に,女性が養子を取ることを都鄙(とひ)に先例多きこととして積極的に肯定していることなどは,よくこれを裏書している。しかし,南北朝ごろを境に武士を中心に父系の家の継承が強い父権の下に確立されるようになると,養子はようやく家督継承の手段としての意味を強めるようになり,実子なき場合に限り,継子として設定されるという傾向が鮮明になっていった。しかし,父系親族組織が中国ほど強くならない日本では,以上の傾向にもかかわらず他姓を養子にとったり,女性が養子をとる慣行も容易には消えず,近世大奥の養子慣行にまでその影響が残った。
執筆者:義江 彰夫(3)近世 江戸時代の養子縁組はもっぱら〈家〉相続を目的として取り結ばれ,とくに主君の許可を要する武家の場合には,種々の制約が加えられた。幕法では養子は近親者を原則とし,1663年(寛文3)の〈諸士法度〉でその選定順位を,第1に同姓の弟,甥,従弟,又甥,又従弟,第2に入聟(いりむこ),娘方の孫,姉妹の子,種替りの弟と定めた。これらの親類に適当な人がいない場合に他人養子を認めたが,その範囲は原則として直参(じきさん)の次・三男に限られた。養親の年齢は17歳以上,養子は養親より年少の者でなければならなかった。また家の断絶を防止するため,順養子といって弟や養方弟(養父の実子など)を養子とすることや,死期近く願い出る末期養子(まつごようし),大名・幕臣が参勤交代や公用で江戸を離れる際,万一を考えて願い出ておく仮養子(かりようし)の制度も行われた。諸藩でも家中の養子は細かく規定されていた。百姓・町人の場合は当事者間の契約によって結ばれ,武家に比べはるかに自由であった。なお一般に,養子入りにあたって持参金がやりとりされ,なかには持参金目当ての養子縁組もみられた。幕府は再三にわたってこれを禁止する法令を発したが,あまり効果はなかった。
執筆者:松尾 美恵子 近世の養女は,財産を譲与する目的でとるのではなく婚姻に利用される場合がほとんどである。その場合実子が存在しない者が近親より養女を迎え,それに婿養子をとる方法があり,血縁の遠い養子よりも近い血統を残そうという考えに基づく。次に政略結婚などの場合,自分に適当な娘がいないとき一族の女子を養女として嫁がせる例がある。徳川家康が一族や家臣の娘を養女にして有力外様大名に嫁がせ,姻戚関係を結んだのが好例である。さらに婚姻の場合,女性の身分が男性より低いとき,身分の上の者の養女となって相手の身分と釣り合わせることもあった。また実妹や養妹,孫娘などの近親,一族や他人の娘を養女にすることもあるが,これは養女となる者の実父が死亡していることが多く,父親代りになって養育するという意味をもつ。それに死んだ子どもの娘を養女にして他家へ再縁させることもある。これらも結局は縁談を有利に進める手段であった。
執筆者:上野 秀治
旧中国では実子のない場合,同族のうちから(したがって必ず同姓である)生まれるべきであった子と同じ世代にあたるもの(同宗昭穆相当(どうそうしようぼくそうとう)という)を選んで,祖先祭祀また家産相続のための承継人とし,これを嗣子(また継子,過継子,過房子)と称した。被承継人が生前に親等の近いものを指定するのが普通であるが,夫の死後に寡婦が選定することがあり,夫妻が死亡,また夫の死後に妻が改嫁した場合には,同族の人が継絶と称して嗣子を立てることも可能であった。嗣子は子たる義務を実父ではなく嗣父に負い,実家の家産に対する権利を失うが,離縁された場合にはこの限りではない。一方,承継を目的とせず,恩恵的に養育する異姓養子は義子(俗に螟蛉子(めいれいし))と称され,ときにより財産分与の対象となることもあった。唐律では嗣子と義子の概念は未分化であったという。現代中国では宗族や家系のために嗣子を立てることは許されていない。
執筆者:植松 正
李朝の初期ころまでは姓の異同に関係なく3歳未満の子を養子として育てる習俗があったが,氏族制度が普及するに伴い,李朝の中期以降は中国と同じく異姓不養が原則とされるに至った。したがって養子の縁組は姓も本貫も同じくする同姓同本の近親内の,しかも子の世代に当たる者に限られた。とりわけ上層の両班(ヤンバン)社会においては,老後の奉養と死後の祭祀を担当する後継者を確保する方策として養子が採られた。養子を迎える最大の理由は,族譜上の継承と祖先祭祀にあるが,一方では〈麦一升あれば養子に行かない〉ということわざに示されるように,家産も考慮された。このほか子どもの無病息災と長寿を祈願して,ムーダンや占い師との間で儀礼的な養子関係を結んで神の加護を求める習俗がある。
執筆者:伊藤 亜人
日本ではとくに養子制度がさまざまな形で発達しているが,これは日本人のもつオヤコ(親子)の観念がきわめて広く,実子以外に養子はもとより,親分・子分(おやぶんこぶん)関係に基づくオヤコをも含んでいることに関連している。しかしながら養子制度と親分・子分関係とは,養子と養親(やしないおや)が同居する傾向が強いのに対して,親分と子分はほとんど同居しないこと,養子と養親の間には法的な親子関係が設定されるのに対して,親分・子分の間にはそれが設定されない点において,まったく異質の社会関係である。
養子にはさまざまな形態があり,その効果としては養子をとる収養側にも,また養子本人の利益にもかなうものと考えられるが,養子縁組締結の目的に即して分類すれば,収養側本位の養子と養子側本位の養子の二つに大別することができる。収養側本位の養子の目的は家筋(いえすじ)の存続・継承と家族内労働力の確保の二つであった。家筋の存続・継承は現実的な家産(かさん)の伝達をめざしたばかりでなく,祖先祭祀も重要な目的であった。一方,養子側本位の養子は孤児(こじ),捨子(すてご),私生児(しせいじ)に家族を与えるという目的で行われるものであり,世界的には第1次大戦以降活発に行われるようになった養子制度である。この二つの養子制度のうち,日本の養子制度は収養側本位の養子の傾向はきわめて強く,これは日本本土のみならず,沖縄,朝鮮,中国など東アジアの養子制度に共通する特徴である。
収養側本位の日本の養子のなかで,とくに著しいのは家筋の存続・継承を目的とする養子であり,とくに,子どもや男の子どもができないときに収養される。その具体的形態としては普通の養子のほかに順養子(弟や妹を養子にする形態),婿養子(女の子どもの婿を養子にする形態),夫婦養子(子どもがいない場合に男女とも夫婦として養子にする形態)などがある。このうちで日本の養子の特徴をよく示すものとして注目されるのは上述にもある婿養子である。婿養子は婚姻形態としては妻方居住制をとるものであって,男子がいない場合,男子があっても相続人として適格性を欠いたり相続人とみなさない場合,あるいは子どもがいなくてすでに女子を養子にしている場合などに取られる。各地の村落の調査によれば婿養子縁組が出現する頻度は全婚姻数に対して,3.3%から35.2%までかなりの変差があるが,家存続の手段としてきわめて多く採用されている養子制度であることは疑いない。婿養子は結局妻方の先祖の家名,家産,家職の相続継承者となるので,父系主義を絶対的なものとして尊重しない日本の家族構造をよく示す制度でもある。
普通の養子はどの村落においても,全構成員の約1%の頻度で出現している。婿養子が収養する養親との親族関係が問われない傾向にあるのに対して,普通の養子は父方母方の別は問わないが,近親の親族関係者から取られるのが一般的である。そして男子を収養する場合のみならず,育てやすいという理由で女子を先に養子にして婿を迎えるということも多い。結局のところ,日本の養子制度の特徴として,家のための養子という性格が強いこと,婿養子を除いて近親の親族から収養する場合が多いこと,そしてさらに女子を養子とする例も多いことなどを指摘できる。
執筆者:上野 和男
養子は必ずしも年齢,世代のうえで幼・少年期にある子どもを示すものではない。沖縄や日本本土における〈婿養子〉,スマトラ島のミナンカバウ社会における〈嫁養子〉の例は,婚齢期にある者を養子とし,東トレス海峡諸島民においては,生前の子どもをあらかじめ養子として養子縁組を行う例がある。養子縁組による養子は,永久的移籍を伴う例をいい,一時的扶養による〈里子〉とは概念上区別され,一時的扶養による,したがって〈実の親子関係〉に復帰しうる要素をもった親子関係上の慣行は〈養育fosterage〉と称される。この慣行はオセアニア各地によく見うけられるが,養取と養育とが人々の間で明確に区別して認識されていない場合もある。養子縁組に基づく関係は,一般に〈擬制的親族関係fictive kinship〉と呼ばれ,子どもの地位にある者が〈実の親子関係〉を失わず,実親に加えて儀礼的な代父母との関係をさらに締結しようとする〈儀礼的親族関係ritual kinship〉による親子関係とは,概念上区別される。擬制的親族関係は実の親族関係と法的に同一視されるのに対し,儀礼的親族関係は実の親族関係を象徴的な関係として他の人間関係に代用したものであり,実の親族関係とは相補的関係にある。
擬制的親族関係の関係を形成する養子縁組は,その目的に応じ三つに大別することができる。(1)孤児,私生児,捨子,崩壊家庭の子に家庭を与えるため,(2)子どものない夫婦に社会的子孫を与えるため,(3)個人または夫婦に財産相続人を与えるため,の三つである。
実際例においては,上記のうち一つを目的とする例もあれば,子どものない夫婦が親族関係者の子どもを養子にもらい,その子どもを主たる相続人とするというシベリアのチュクチ族の例のように,(2)と(3)の目的を兼ねた例も少なからず認められている。西欧社会では親の死によればもとよりのこと,戦争や飢饉,あるいは経済的破産などにより実親によって子どもが育てられなくなった場合,子どもの福祉を主たる目的として養子縁組が頻繁に行われてきたが,このような例は非西欧社会にも顕著で,例えばアメリカの平原インディアン社会のように,孤児はどんな赤の他人であろうと実子同様に育てるという例があり,(1)の目的による養子縁組は世界にひろい。しかし,例えばタヒチの社会では子どものない夫婦はしばしば養子をとるといい,他方,子だくさんの家族は何人かの子どもを他の家族に養子として譲渡する例が多いといわれており,(2)の目的において養子縁組を行う例となっている。また,古代ローマでは子どもの福祉とはまったく無関係にしばしば大人が養取されたといわれ,この例は(3)の目的による例としてあげられる。(3)の例は必ずしも幼・少年期の子どもが養子であるとはかぎらない点で(1)とは異なり,養親に実子があるか否かに関係しない点で(2)とは異なっている。現代社会における(3)の例としては沖縄などの例が典型的であり,たとえ娘が実子として存在していても,息子がいなければ同じ父系リネージ内の成員を養子として迎える例などがそれである。沖縄その他の社会のように,(2)や(3)の例はあらかじめ養親と養子との関係が特定の出自関係や親族関係になければならないという規範が伴うことがあり,養子縁組は単婚制社会の特徴であるという一般的傾向に加えて,養親-養子関係にこの種の規範を伴う例は,出自の原則に基づいて相続人を指定しようとする社会に多く認められている。
→出自 →親族
執筆者:渡辺 欣雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
養子縁組によって子となった者。法律上、養親(養い親)と血のつながりがあるものとして扱われ、したがって、養親の実子と同じ取扱いを受けることになる。
[竹内利美]
「凡無子者、聴養四等以上親於昭穆合者」(凡(およ)そ子(し)無くは、四等以上の親(しん)の、昭穆(しょうもく)に合(かな)えらん者(ひと)を養(やしな)うこと聴(ゆる)せ)と「戸令(こりょう)」(国家の人民掌握や身分制について定めた古代の編目)にあるのが日本の養子制の古い証跡だが、「唐令」を移したこの規定は国情にそぐわぬため、事実上は血縁の親疎有無や輩行にとらわれず、広く養子が行われ、とくに中世武家社会では特殊な発展を示した。そこでは養子は「猶子(ゆうし)」ともいい、また「実子にたてる」とも称して、「家督」継承の養子だけではなく、「養子別家」の形が広く行われて、総領制下における「一族家門」発展の主動因ともなった。また実子幼弱の際は「中継(なかつぎ)相続(名代(みょうだい)相続)」としての養子も広くみられ、後家身分(女子)の養子も認められていた。近世封建制下では「朱印制度」のもと武家の「知行(ちぎょう)(家禄(かろく))」の授与収奪は「主君(将軍・大名)」の専断となったので、「相続養子」は主君の認証を要し、それは幕府の大名統御策と絡んで複雑な養子慣行を生ずるに至った。
家督相続養子には通例の養子(無子の場合)のほか、順養子(弟)、婿養子(娘婿)、末期(まつご)養子(臨終にあたりたてる)などの特殊養子があり、とくに「末期養子」は大名家廃絶の動揺を防ぐため創案されたもので、むしろ近世初頭の有力外様(とざま)大名排除には「養子認許」を厳しく制限していたのである。「末期養子」は臨終にあたり急拠養子をたて、幕府がそれを認める形であって、要は急変による大名家の廃絶をとどめる苦肉の策であり、さらには「急養子」「心当(こころあたり)養子」「仮養子」という遠国旅中の急変に備えてのいわば「保険的」暫定養子制さえ生じた。しかし「別家養子」の形はほとんど消失し、また女子は「養女」と別称してその規制も緩やかで、多くは婚姻の際の「家格」付与に利用された。明治法制でも初期は近世武家の制を引き継ぎ、戸主と相続人に限り養子を認めるなど、「家」継承の線を固守していたが、「民法」ではその制限を外し、個人的養子も認められた。しかし「家制度」の存続は「跡取り養子」を主体とする形を依然強く残してきたが、一方、個人(雇主)の養子も自在となったので、遊里などの婦女労働の搾取にはそれが悪用もされた。
一般庶民の養子慣行もほとんど「家(家名・家産)」継承のため行われ、娘か養女に婿を迎える「跡取り養子」が一般的で、「無子」の場合には幼少の女子をまず「養女」として、それに「婿養子」をとる形が多かったのは、実子生誕後のことを思慮しての処置であった。そのほか末弟を迎える「順養子」や夫婦ともどもの「両養子(夫婦養子)」、あるいは衰退した「家」を買い取りながらそれを継ぐ形での「買い養子」などの特殊慣行もあった。一方、家内労働力を補充するため「婿養子」を娘に迎え、やがて別家させる形や、ヤシナイゴ・モライコとして将来の「独立」を約束して幼児を引き取り、家内労働に従事させる養子形式の奉公人もいろいろあった。これらは、「家」継承の養子とはまったく別個で、「家」経営のため家族の一員として取り入れられるもので、法的な養子縁組とは無縁の存在ではあったが、等しく「オヤコ」として保護奉仕の関係をもち、将来の生活の庇護(ひご)にもあたった。今日この類の養子奉公人はほとんど消失したが、漁村などの場合は、児童福祉制下の「里子」などにその残存が移行した例も若干ある。
[竹内利美]
養子制度は、古くから諸民族、諸国家において認められた制度であるが、家族制度の強固な時代には、家は血縁のある者、ことに男の子によって承継されねばならないという原理が存在し、男の子のない者は他家の男の子を養子として家を承継させることが必要であり、養子制度はもっぱらこの目的に奉仕するものとして用いられた(家のための養子)。家族制度の衰微とともに、このような養子はしだいに姿を消し、それとともに、子のない親の、子をもちたいという「親としての本能」を満足させるため、あるいは親の労働に協力させるとか、さらには老後には子にめんどうをみてもらうために子を養子とするなど、もっぱら親の慰藉(いしゃ)、利益のために養子制度が利用された(親のための養子)。ついで、ことに第一次世界大戦後は、戦争のために生まれた多数の孤児、混血児、私生児、その他不遇な子に対し、温かい家庭を与え、その健全で幸福な育成を図る最良の手段として養子制度が注目されるに至った。第二次世界大戦後さらに1960年代以後における世界各国での養子法の改正、養子制度の発展にはめまぐるしいものがある。そこでは、養子法はもはや家族法の領域から脱して、一種の社会立法であるとさえいわれているのである(子のための養子)。
日本では、これら諸国と異なり、長らく家族制度が存続していたこともあって、たとえば、明治民法においても、遺言養子、婿養子縁組を認めるなど、家のための養子法の性格がきわめて強かった。第二次世界大戦後の法改正により、新たに未成年養子には家庭裁判所の許可を必要とするなど、近代的養子法への脱皮の努力がみられたが、依然として多分に「家」的な要素が残っており、また現実においても、養子の大半が成年養子であるなど、国民感情、国民的意識の古さをまざまざと見せつけられるのである。
注目すべきは、1987年(昭和62)の養子法改正(1988年施行)により、従来の養子(以下普通養子という)とまったく異なる「特別養子」の制度が新設されたことである。普通養子縁組が養親子間の契約により成立するのに対し(契約型)、特別養子は家庭裁判所の審判により成立し(宣言型)、また普通養子縁組では縁組後も実方(じつかた)(養子からみて、自分の自然血族関係にある親族)との親族関係が存続するのに対し(不完全養子)、特別養子では縁組により実方との関係がまったく断絶する(完全養子)のであり、そこには、親子一体感を強め実親からの不当な干渉を排除し、もって「子」の福祉を図ろうとする強い姿勢がうかがわれるのである。
[山本正憲・野澤正充 2021年5月21日]
養子縁組は、養親となろうとする者と、養子となろうとする者とが合意して(民法802条1号)縁組届をすることによって成立する(同法799条による739条の準用)。縁組届が受理されるためには、当事者について次のような要件が満たされていなければならない。
(1)養親は、20歳に達していなければならない(同法792条)。養子の年齢については、養親より年長であってはならない(同法793条)ということのほかには、なんらの制限もない。
(2)自分より年少者であっても、自分の尊属、たとえば伯叔父母を養子とすることは許されない(同法793条)。尊属でなければ、従兄弟姉妹はもちろんのこと弟や妹、孫、さらには自分の嫡出でない子でも養子にすることができる。
(3)配偶者のある者が未成年者を養子とする場合は、配偶者と共同で縁組しなければならない。ただし、夫婦の一方が他方の嫡出子を養子とする場合および他方が意思を表示することができない場合は、一方だけで縁組することができる(同法795条)。つぎに、夫婦の一方が成年者を養子とする場合および夫婦の一方が養子となる場合は、他方の同意を得なければならない。ただし、夫婦が共同で縁組する場合および他方が意思を表示できない場合は、その同意はいらない(同法796条)。
(4)養子となる者が満15歳未満のときは、その法定代理人すなわち親権者ないし後見人が、養子にかわって縁組の承諾をしなければならない(代諾縁組)。父母が離婚し、あるいは嫡出でない子を父が認知したなどして父母の一方が親権者、他方が監護者と定められているときは、代諾権者は親権者であるが、監護者の同意が必要である(同法797条)。また、児童福祉法によれば、児童福祉施設の長は、親権を行使している入所中の児童について、都道府県知事の許可を得たうえで代諾できるとされている(児童福祉法47条)。
(5)未成年者を養子とするときは、それが自分または配偶者の直系卑属(子、孫など)でない限り、家庭裁判所の許可を得たうえでなければ縁組届ができない(民法798条)。もっぱら子の福祉を図るため設けられた規定であるが、日本の養子の大半は成年養子であり、しかも未成年養子の多くも、自己または配偶者の直系卑属である。
(6)後見人が被後見人(未成年被後見人および成年被後見人)を養子とするには、家庭裁判所の許可を得なければならない(同法794条)。養子とすることによって、後見人が財産管理に関する監督を免れようとするのを防止するためである。
(7)当事者間に縁組をする意思の合致がなければならない(同法802条1号)。縁組意思の具体的内容については、これを実質的に解する説と、単に形式的に解しようとする説とがあり、判例は前者の立場をとっている。
[山本正憲・野澤正充 2022年4月19日]
養子縁組届が受理されると、養子は縁組の日から養親の嫡出子としての身分を取得し(民法809条)、養親およびその血族と養子との間には、血族間におけると同様な親族関係が発生するから、相互に相続関係、扶養義務関係が発生する。養子縁組当時の養子の血族、たとえば養子の父母や子などと、養親およびその血族との間にはなんの関係も生じない。次に、養子は養親の氏を称し、原則として養親の戸籍に入籍する。ただし、婚姻の際に氏を改めた者は、その婚姻継続中は、縁組によっても氏は変わらない(同法810条)。養子が未成年のときは、実親の親権から脱して養親の親権に服する。養子縁組が成立しても、実父母およびその親族との関係は親権の点を除いてなんらの影響を受けないから、たとえば養子は養父母と実父母との双方の財産を相続することができる。
[山本正憲・野澤正充 2021年5月21日]
特別養子縁組は、家庭裁判所の審判によって成立する(同法817条の2)。この縁組を請求できる者は夫婦に限られ、しかも夫婦は、その一方が他方の嫡出子を養子とする場合を除き、共同で養親とならなければならない(同法817条の3)。養親は、25歳に達していなければならない。もっとも養親となる夫婦の一方が25歳に達していれば、他方は20歳以上であれば養親となることができる(同法817条の4)。養子となる者は、養親となる者の請求時に15歳未満でなければならない(同法817条の5)。
2019年(令和1)の民法改正前は、「養子となる者は、6歳未満でなければならず、6歳に達する前から引き続き養親となる者に監護されていた者は、請求のとき8歳未満であればよい(同法旧817条の5)」とされていた。これは、養子と養親との間に実質的な親子関係を築くためには、幼少期からの養育が必要であると考えられたことによる。しかし、そうすると、たとえ縁組みの必要性が高くとも、6歳を超えると特別養子縁組の対象ではなくなることとなる。とりわけ、児童養護施設等には、保護者がいないことや虐待を受けていることなどが原因で、多数の子が入所しているが、そのなかには、特別養子縁組を成立させることにより、家庭において養育することが適切な子も少なくなく、特別養子縁組の要件の緩和が望まれていた。そこで、2019年6月7日に成立した民法改正では、特別養子縁組の養子となる者の上限年齢を引き上げ、特別養子縁組の成立の審判の申立てのときに15歳未満であることを要件とした(民法817条の5第1項前段)。また、養子となる者が15歳以上であっても、(1)15歳に達する前から養親となる者が引き続き養育し、(2)やむを得ない事由により15歳までに審判の申立てができなかった場合には、特別養子縁組が可能となる(同第2項)。このように、15歳を特別養子縁組の基準としたのは、15歳以上の者は自ら普通養子縁組をすることができるからである。ただし、特別養子縁組が成立するまでに、18歳に達した者は、養子となることができない(同第1項後段)。また、養子となる者が審判の時に15歳に達している場合には、その者の同意が必要となる(同第3項)。
縁組の成立には、養子となる者の父母の同意が必要である。実子については実父母、養子については養父母および実父母、特別養子についてはその養父母の同意である。もっとも父母が意思を表示できないときまたは父母による虐待、悪意の遺棄その他養子となる者の利益を著しく害する事由が父母の側にあるときは、その同意はいらない(同法817条の6)。
特別養子縁組は、父母による養子となる者の監護が著しく困難または不適当であること、その他特別の事情のあることが必要であり、かつその子を特別養子にすることが子の利益のためにとくに必要があると認められる場合に限り、成立させることができる(同法817条の7)。
さらに縁組を成立させるには、養親となる者が養子となる者を6か月以上の期間監護した状況を考慮しなければならない(同法817条の8)。特別養子も縁組の一種であるので、普通縁組の効果はこの場合にも認められる。ただし特別養子縁組の成立により、養子と実方の父母およびその血族との親族関係は、生理的血縁関係を基礎として認められている婚姻障害(近親者間および直系姻族間の婚姻の禁止。同法734・735条)を除き、すべて消滅する(同法817条の9)。普通縁組の場合とまったく異なるところである。
なお、特別養子縁組の審判が確定すると、縁組の請求をした養親は、10日以内にその届出をしなければならず、届出があれば、まず養子について従前の本籍地に養親の氏で新戸籍を編成したうえ、同戸籍から養親の戸籍に養子を入籍させ(戸籍法18条3項)、先の新戸籍はただちに除籍される。このようにして、養親と実親との戸籍の直接の関係はまったく断ち切られるが、中間の除籍された戸籍を通じて、両戸籍の関係を知ることができる。また養親の戸籍における養子の身分事項欄には「……民法八百十七条の2による裁判確定……」と記載されるが、養父母欄を設けず養父母を実父母として記載し、続柄も「養子」でなく、たとえば「長男」のように実子同様に記載し、住民票の記載もこれに準ずる。離縁は原則として認めない趣旨であるが、ごくまれな場合、審判により認められる(民法817条の10)。
[山本正憲・野澤正充 2021年5月21日]
特別養子縁組のための養子となる者を迎える方法としては、児童相談所を通して行う方法のほか、養子縁組斡旋事業を行う民間機関を通して行う方法とが存在した。とりわけ、民間斡旋機関による特別養子縁組は、全体の約4割程度に及び、全国の児童相談所が約200か所存在するのに対して、民間斡旋機関は約20程度しかないこと(2016年厚生労働省「特別養子縁組に関する調査結果」)を考えると、その重要性は明らかであった。にもかかわらず、民間斡旋機関の財務的な基盤は脆弱(ぜいじゃく)で、国または地方公共団体からの財政的支援はなかった。また、民間斡旋機関は、単なる申請によって養子縁組事業を営むことができ、罰則規定もなかったため、悪質な事業者も存在した。そこで、2016年(平成28)に「民間あっせん機関による養子縁組のあっせんに係る児童の保護等に関する法律」が成立し、2018年4月1日から施行された。この法律は、「養子縁組あっせん事業を行う者について許可制度を実施し、その業務の適正な運営を確保するための措置を講ずる」ことを目的とし(同法1条)、「養子縁組あっせん事業」を行おうとする者は、都道府県知事の許可を受けなければならないとする(同法6条)。そして、一方では、都道府県知事が「民間あっせん機関」を監督するとともに、他方では、「国又は地方公共団体は、民間あっせん機関を支援するために必要な財政上の措置、養子縁組のあっせんに係る業務に従事する者に対する研修その他の措置を講ずることができる」(同法22条)として、その補助をも行うこととした。なお、許可なしに特別養子縁組あっせん事業を行った者は、1年以下の懲役または100万円以下の罰金が科せられる(同法44条)。この法律の施行により、「民間あっせん機関」による適正な特別養子縁組の斡旋の促進が期待される。
[野澤正充 2021年5月21日]
養子縁組に関する各国の法制はバラエティーに富んでいる。たとえば、イスラム教国では、養子縁組は禁止されている。他方、養子縁組を認める国のなかでも、養子になった子はそれまでの実方の血族との親族関係を維持したままであり、実親に対する扶養義務が残り、他方、実親の財産に対する相続権も有するという旧来型の養子縁組(普通養子縁組)だけを認める国と、養子になった子とそれまでの実方の血族との親族関係を断絶してしまう新しいタイプの養子縁組(特別養子縁組または断絶型養子縁組)もあわせて認める国(多くの欧米先進国のほか、日本を含む)とに分かれている。また、裁判所の決定によって養子縁組を認める決定型養子縁組制度を採用する国と、それに加えて、当事者間の約束によって養子縁組を認める契約型養子縁組も認める国との違いも存在する。このような国内法の違いは、宗教、文化などに根ざすものであり、世界的な統一法を作成することはほとんど不可能である。そのため、いずれの国の法を適用するかを定める国際私法によって国際的な私法秩序の安定を図ろうとしている。
日本の国際私法典である「法の適用に関する通則法」(平成18年法律第78号)第31条によれば、養子縁組の成立は、縁組当時の養親の本国法によるとされている。これは、養親子の生活が養親を中心に営まれるのが通常であるので、養親の本国法が最密接関係地法であると考えられたことによるものである。もっとも、国籍を異にする養親子の場合、養親の本国法のみによることは養子にとって不利益が生ずるおそれがあるので、養子の本国法が養子縁組の成立について養子や第三者の承諾・同意、または公の機関の許可その他の処分を要することとしていれば、この要件も備えなければならないというセーフガード条項が置かれている(同条1項但書)。また、特別養子縁組の場合に生ずる実方の血族との親族関係の終了について、普通に考えれば、「終了する関係」についての準拠法、すなわち、嫡出親子関係であれば同法第28条によって定まる準拠法によることになりそうであるが、そのようにすると、特別養子縁組制度をもたない国の法律が「終了する関係」についての準拠法となる場合には、養親の準拠法上の特別養子縁組がなされても、実親との嫡出親子関係は断絶しないということになってしまう。そこで、特別養子縁組を望む養親の希望をかなえるため、同法第31条2項は、養子とその実方の血族との親族関係の終了については、養子縁組成立の準拠法によることとしている。他方、離縁については、たとえば離縁当時の養親の準拠法によることとすると、養子縁組当時の養親の準拠法により特別養子縁組として成立した養子縁組が、その法律上離縁がきわめて厳格に制限されているのに、その後、養親の本国法が特別養子縁組制度のない国の法律に変わったために、通常の養子縁組としての離縁の要件を具備するだけで離縁が認められてしまうという不都合が生ずるおそれがある。そこで、同法第31条2項は、離縁については養子縁組当時の養親の準拠法による旨規定している。
なお、成立した養親子の間の法律関係については、「法の適用に関する通則法」第32条により、第1段階として、養親と養子の本国法が同一であればその法律により、そうでなければ、第2段階として、養子の常居所地法によるという段階的連結で準拠法が定められることとされている。
国際養子縁組の実際に目を移すと、世界的に、先進国の者が途上国の子を養子にするという傾向が強い。この背景には、富める先進国では少子化が進み、養子をもちたいと望む者が国内でその候補者を探すことは困難であるのに対し、貧しい途上国では出産のコントロールをしない結果として子供が多く生まれ、養子の供給地になるという事情があるようである。そして、その間に入って、養子の幸せよりも自己の営利目的で途上国の養子を先進国の親に斡旋(あっせん)するブローカーも暗躍している。そこで、国連は、「子どもの権利条約(児童の権利に関する条約)」(平成6年条約第2号)において「国際的な養子縁組において当該養子縁組が関係者に不当な金銭上の利得をもたらすことがないことを確保するためのすべての適当な措置をとる」ことを規定した(同条約21条(d))。そして、これを受けて、ハーグ国際私法会議は1993年にそのようなブローカーによる無責任な国際養子を抑制することを目的の一つとする「国際養子縁組に関する子の保護及び協力に関する条約」を採択した。同条約は1995年に発効し、締約国は90か国を超えている(日本は未批准)。
ちなみに、正確な統計はないが、日本は、他の先進国とは異なり、これまで国際養子縁組の局面では、外国から子供を養子として受け入れるよりも、子供を外国に養子として送り出すほうが多いといわれてきた。その理由としては、国内的事情として、
(1)子供のための養子縁組(自分の幸福な生活を不幸な子供たちに分け与えようというもの)ではなく、家系を維持してお墓を守ってもらうという意識からの養子縁組が多く、そのため、風貌(ふうぼう)の異なる子供を養子にすることに消極的であること、
(2)典型的には10代の未婚者が産んだ子供を周囲の関係者ができるだけ遠くに養子に出してしまおうと画策することが少なくないこと、
他方、国外の事情として、
(3)外国に住む日本人・日系人が風貌の似た日本人の子供を養子に迎えるという需要があること、
などが指摘されている。
養子縁組許可・成立事件の国際裁判管轄については、家事事件手続法第3条の5は、養親となるべき者または養子となるべき者の住所(住所がない場合または住所が知れない場合には、居所)が日本国内にあるときは、日本の裁判所が管轄権を有する。これは、これらの事件については当事者間に争いがあるわけではなく、裁判所は後見的な役割を果たすことが期待されていることから、当事者の生活と日本との間に一定の関係があればよいという考えに基づくものである。これに対して、養子縁組無効や離縁などの事件においては、当事者間に利害の対立があるため、人事訴訟法第3条の2により、日本の裁判所に提起できる(国際裁判管轄が定められる)のは、被告の住所が日本国内にある場合(同条1号)、原被告とも日本の国籍を有している場合(同条5号)、原被告の最後の共通の住所が日本国内にあった場合であって、原告の現在の住所がなお日本国内にあるとき(同条6号)、原告が日本国内に住所を有する場合であって、被告が行方不明であるとき、被告の住所がある国でされた原被告間の縁組無効判決が日本で効力を有しないとき、その他の日本の裁判所が審理および裁判をすることが当事者間の衡平を図り、または適正かつ迅速な審理の実現を確保することとなる特別の事情があると認められるとき(同条7号)等である。なお、人事訴訟法による場合も家事事件手続法による場合も、例外的に特別の事情により訴えが却下されることがある旨定められている(人事訴訟法3条の5、家事事件手続法3条の14)。
[道垣内正人 2022年4月19日]
『富田庸子著「「子どものため」の養子縁組――特別養子縁組の動向」(『日本家政学会誌』71巻1号49頁所収・2020)』
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…家の安定,永続を守るためには家産相続が重要だが,この権利と義務を,西欧では血縁者に限ろうとしてきた。しかし,日本には養子制度があり,他人であっても家のために役立つ人材なら,自分の子をさしおいても後継者とすることがある。生活保障のため血縁の擬制,拡大が行われるのである。…
…家の安定,永続を守るためには家産相続が重要だが,この権利と義務を,西欧では血縁者に限ろうとしてきた。しかし,日本には養子制度があり,他人であっても家のために役立つ人材なら,自分の子をさしおいても後継者とすることがある。生活保障のため血縁の擬制,拡大が行われるのである。…
…父母と子の関係を指すが,生みの親と子の血縁的な関係だけではなく,養親と養子,親分と子分,親方と子方の関係のように,法制上,習俗上親子関係が擬制される関係(擬制的親族関係)を指しても用いられる。
[親子と血縁]
親子関係では,とくに血のつながりという自然的要素が強調されるが,いずれの社会でも,血のつながりがあればただちに社会的にも親子関係が発生するとされているわけではない。…
…また,帰化に関し,生計条件の定めを整備し(5条1項4号),重国籍防止条件(5条1項5号)について特例を設けるとともに(5条2項),日本で生まれた無国籍者の帰化条件について新たに定めた(8条4号)。(3)親族法上の原因に基づく国籍の取得 婚姻により妻が夫の国籍を取得し,また婚姻中における夫の国籍変更が妻の国籍に影響を及ぼし,認知により子が親の国籍を取得し,養子縁組により養子が養親の国籍を取得し,また子の国籍が親の国籍変更に従うなど,一定の条件の下に,親族法上の原因に基づく国籍の取得を認める立法例が世界的にはかなり多い。この場合には婚姻と妻の国籍との関係がとくに問題になる。…
…遊女等の奉公人請状には,高額の前借金,身請の承諾,蔵替等の特有の文言が記載された。人身売買と同じ目的で,養子とくに一生不通養子もさかんに行われた。これは抱主(かかえぬし)が遊女,芸者等に対する人的支配を完全にする方法であり,親元へは養育料などの名目で対価が支払われた。…
…また,その捨てられた子どもをいう。
【日本】
《令集解(りようのしゆうげ)》(戸令)には,養子の相続分規定に関連して捨子の法的位置が論じられている。実質的な養子の仮装としての捨子は,古代から比較的近年まで存在した。…
…ただし,ここで重要なのはあくまでも系譜関係であって,実際の血縁(生物学的)関係ではない。非血縁者であってもその社会で認められた方法で養子となれば,養取者との間に正規の親子関係を成立させたことになり,養取者を通して養取者の〈先祖〉と〈先祖〉―〈子孫〉関係をもつことができる。非血縁者を分家とした場合も同様に,この擬制的親子関係を通じて,分家は集団の〈先祖〉の〈子孫〉となるのである。…
※「養子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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