朝日日本歴史人物事典 「天与清啓」の解説
天与清啓
室町時代の臨済宗の僧。別号は海樵,万里叟。信濃国(長野県)伊那郡の豪族知久氏の出身。同国法全寺において出家,俗の伯父に当たる伯元清禅の法を嗣いだ。宝徳3(1451)年,遣明使に随侍して入明。正使の補佐役として大きな功績をあげた。帰国後はその功績により,能登(石川県)安国寺,信濃開善寺の住持となる。寛正1(1460)年には遣明正使に任じられ,建仁寺の住持を勤めたのち,文正1(1466)年に再び入明,書籍・銅銭を招来するなど,外交に活躍した。文明1(1469)年に帰国したのちは,中国での配下の刃傷沙汰の責任を取り一切の官職を辞去,法全寺に閑居してしまった。以降の足跡は一切不明。<著作>『万里集』
(石井清純)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報