煩雑な社会を逃れて山野に隠棲すること,官位を捨て家督を次代に譲って社会生活から遠ざかることを意味する。平安時代の貴族社会にあって隠居は退官を意味したが,武家社会では家督相続など家のあり方をあらわす重要な慣行となった。江戸時代の武家社会では,隠居と家督相続が同時に行われるのが普通である。隠居の契機は相続人の婚姻や,隠居人の年齢的肉体的諸条件による場合が多い。また江戸時代では公家・武家の不行跡者にたいする刑罰の一種で,不行跡者を現在の地位から強制的に退隠させ,法体させた場合も隠居と称されている。明治民法は家制度の中に江戸時代武家社会の隠居,相続の慣行を採用しているといわれている。
民間の相続慣行は個々の家により異なるのではなく,地域的な民俗慣行として存在する。東北地方から日本海沿岸の地方では,隠居慣行は大家族制に覆われて希薄であり,東北地方を除く太平洋岸から瀬戸内地方,とくに九州・四国地方に別居,分住隠居の慣行が濃厚に残存していた。隠居慣行の分布する地域は大家族制にたいして,夫婦中心の小家族の成立を志向しており,隠居慣行のあり方は前近代社会の家の類型を探る手がかりとみなされている。
→家
執筆者:仲村 研
明治民法においては生前に戸主権を家督相続人のために放棄する行為を隠居とし,普通には戸主が満60歳以上であること(ただし女戸主の場合は何歳でもよい),および家督相続人をあらかじめ承認しておくことが規定されていたが,日本の各地で行われてきた隠居慣行はひとつの家族がその内部でいくつかの相対的に独立した生活単位(世帯)に分かれて生活する制度をいう。隠居はしたがってひとつの家族が複数の世帯に分かれるので隠居複世帯制ともいい,こうした隠居複世帯制を採用している家族を隠居制家族とよぶ。隠居制家族は家族内部の生活単位をとくに分離しない単世帯制家族とともに日本の家族のひとつの典型をなしていた。隠居における生活の分離は食事,住居,財産の使用,労働,祖先祭祀などさまざまな側面にわたっていたが,とくに別居,別財,別竈に示される住居,財産,食事の分離が重要であった。こうした意味における隠居は日本各地に広く分布しているが,その分布には一定の地域的差異が認められる。隠居の北限は福島県であり,これより西南の各地,すなわち茨城県,伊豆諸島,山梨県,愛知県,志摩半島,滋賀県,瀬戸内海諸島,および四国・九州の各地に濃厚に分布している。これらの地域にあっても一定の条件下で例外なく徹底的に隠居慣行が行われている地域と不徹底な形で隠居が行われている地域とがある。また隠居は山村(畑作農村),平地水田農村,漁村のいずれでも行われており,生業上の条件や経済階層とは直接的な関係はみられない。隠居はかならずしも過去の家族制度ではなく,現在も行われている家族制度でもある。たとえば,家族の居住関係にのみ限定すれば,滋賀県のある地域で,隠居屋の建築が近年の流行となったり,また都市周辺に見られる新婚者の屋敷内別棟居住形態も一種の隠居の再生産といえよう。
日本各地で行われている隠居は大別して親別居型と嗣子別居型に分けることができる。親別居型は親が隠居屋に移って隠居世帯を形成し複世帯となるものであって,隠居は一般にこの型が圧倒的に多い。嗣子別居型は相続人である嗣子が隠居屋に移って隠居世帯を一時形成し,のちに主屋世帯と居住の交換を行うものである。嗣子別居型隠居は滋賀県,瀬戸内海諸島,九州南部などで確認されており,隠居のなかでもとくに西南日本に分布が偏向している。隠居世帯形成の時期は嗣子別居型では相続人の結婚を契機とするものが多いが,親別居型は多様である。ひとつは長男の結婚と同時に親が隠居するものであって,この場合には次,三男以下の子女を隠居屋に同行することが多い。隠居者の年齢が比較的若く,まだ働きざかりの時点で隠居するから,隠居世帯に移っても生産活動を継続するのが一般的である。逆に長男の嫁は姑との同居期間が短く,いわゆる家風の伝達は微弱となる。いまひとつの形態は結婚,分家など子女の家族的展開が終了したのち,親夫婦のみで隠居する形であって,この場合には隠居者の年齢が高く,隠居世帯の生産諸活動も限定的である。とくに伊豆諸島のように婿入婚が行われている地域では嫁の夫家への引移りと隠居が同時に行われることが注目される。隠居は家族内における一時的な生活分離であるから,隠居者の死亡とともに隠居世帯は消滅し,家族は再び単世帯制となる。
主屋世帯と隠居世帯の生活分離の程度は地域によってさまざまであり,伊豆諸島に顕著に見られるように別居,別財,別竈のきわめて独立性の高い隠居世帯もあれば,滋賀県のように住居のみを別にする独立性の低い隠居世帯もある。しかし住居をなんらかの形で分離するのは隠居の最低条件である。隠居屋はインキョヤ,ヘヤ,ツボネ,ヨマなど各地の民俗語彙でよばれているが,主屋よりは小さいもののイロリ,炊事場,便所,寝室など生活に必要な諸設備を備えている。隠居屋の多くは屋敷内にあり(徹底的に隠居を行う地域では恒常的な隠居屋が各家に備わっている),主屋とは入口が別々であり,正月には別に門松を飾る地域もある。漁村や山村では空家や他家の一部などを借りて隠居屋とする例も多い。食事の別は竈の別,すなわち別火を意味するが,これとは別に食事の好みの差という現実的意味も加味されている。また隠居屋は主屋と別の田畑を利用することが多く,こうした田畑はふつうインキョメンとよばれる。田畑の分割は隠居の高い独立性を保障し,労働の分離と家計の分離に関連している。位牌祭祀をはじめとする祖先祭祀を隠居と主屋のいずれが担当するかはまちまちであり,現実的に仏壇がどちらに置かれるかも地域差がある。伊豆利島のように位牌分けによって双方で位牌祭祀を行う例もある。隠居制家族においてこのような主屋と隠居屋の生活分離ばかりでなく,盆や正月における共食や隠居娘・隠居息子などを通じて連帯関係を保持している。隠居娘・隠居息子とは隠居屋で一時的に甘く育てられた子どもたちをいい,結婚に際して各地で〈隠居娘は300円安い〉などといわれているが,その本質は子どもを通じた主屋と隠居屋の連帯関係の保持にある。
家族の構造との関連において隠居の社会的意義を考察すれば,隠居は長期的には親子関係を根幹とする直系家族にあって,短期的に夫婦単位に生活分離を行う点から夫婦関係を重視する家族制度とみなすことができる。したがって日本の家族は隠居制の視点から,東北日本を中心とする親子関係重視の非隠居制家族と西南日本を中心に分布する夫婦関係重視の隠居制家族との二つの類型に分けることが可能である。実際上のあり方は別として,夫婦関係重視の隠居制家族は,その点で現代の核家族と類似する側面をもつ家族類型ともいえよう。
執筆者:上野 和男
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家長が家長権、つまり家長としての地位、権限などを息子など継承者に譲渡して退隠の状態に入り、あわせて村落生活でも「家」の代表を次代に引き継ぐこと。明治民法では、戸主が生前に戸主権を家督相続人に譲ることをさし、諸種の規定を設けていた。隠居の語意は「隠れて居る」ということであったが、その内容は時代、地域や階層によってさまざまな展開を示した。平安時代の公家(くげ)社会では隠居は致仕退官を意味した。
隠居をもって家督の譲渡をさすようになったのは戦国時代のことで、武将の間では家督を嫡子に譲り、自らは若干の財産を保留して退隠する風潮が広まった。この風は江戸時代の武家社会にも伝えられ、嫡子が成人妻帯して家長たるにふさわしい格式を備えると、相続と隠居をあわせ行った。別に罪科により家長権を剥奪(はくだつ)して隠居させる法もみられた。また町人社会には壮年の間に「若隠居」して、以後風流な生活を楽しむのを人生の理想とする傾向が生じた。それは「楽隠居」を形成し、これがしだいに隠居の一般通念となっていった。
村落社会では現在も全国にわたり多様な隠居が認められる。とくに隠居者の生活はその居住、食事、経済などをめぐってさまざまである。たとえば隠居者の居所を取り上げても、隠居は同居隠居、別居隠居、分住隠居と3大別される。これは居所について、隠居者と継承者が屋棟(やむね)を同じくするかどうかによる分類である。なかでも別居隠居が隠居の主体をなしているが、これにも、隠居者夫婦だけが別棟の隠居屋に出る単独別居、継承者夫婦以外の家族員、つまり弟妹などを連れて出る家族別居があり、さらに長男の成人、結婚に際して次男以下を伴って隠居別居し、やがて隠居屋をもって次男以下の分家にあてる隠居分家の3種がみられる。ついで分住隠居とは、隠居に際して父親は本家に、母親は分家に分かれ住み、その後父母の葬式や年忌なども本分家別々にするものである。
別居隠居ではしばしば食事、経済も別になり、一家のなかに複数の世帯を形成する。それは家族をもって世代別の居住を理想とする観念に基づくもので、ひいては夫婦家族(核家族)中心の家族構成をとるに至り、「家」の複世帯制を導くといえる。このような観念に支えられた隠居慣行は、福島県以南の太平洋岸各地、とくに伊豆諸島や三重県南部、紀伊半島、ついで瀬戸内海地方や四国、九州地方の各地に分布している。これらの地域はまた「末子相続」の慣行と重複する所も少なくなく、あわせて日本の家族慣行に独特な光彩を放っている。
[竹田 旦]
『穂積陳重著『隠居論』(1915・有斐閣)』▽『竹田旦編『大間知篤三著作集 第1巻』(1975・未来社)』▽『竹田旦著『民俗慣行としての隠居の研究』(1964・未来社)』▽『竹田旦著『「家」をめぐる民俗研究』(1970・弘文堂)』
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…相続の対象となる遺産だけでなく,その相続者をも跡目と呼ぶこともある(たとえば,〈跡目が絶える〉〈跡目を立てる〉など)。江戸幕府の武家相続法では,死亡による相続を跡目(万石以上の場合は遺領という)相続,隠居による相続を家督相続と呼んで区別している。【大藤 修】。…
…還暦,古稀,喜寿,米寿,白寿などの年祝を総称して算賀,賀寿,あるいは〈賀の祝い〉というが,古稀以下が中世から祝われたのに対し,還暦の祝いは近世以降の慣習である。なお,かつて60歳か61歳で隠居をする例が多かった一因は,還暦観念に基づくものであろう。また往時の村落社会では,十三六十(じゆさんろくじゆう)とか十五六十と称して,13ないし15歳以上60歳までの村民が夫役に動員されることがあったが,この場合の60歳も還暦を区切りとしたものであり,さらにこれが隠居の契機ともなったものと思われる。…
…江戸時代,慎(つつしみ)と称した公家・武士の閏刑(じゆんけい)(特定の身分の者や幼老・婦女に対し本刑の代りに科す刑)は,《公事方御定書》が規定する塞(ひつそく),遠慮に類似の自由刑で,他出・接見などの社会的活動を制限することに実質的意義があったが,また名誉刑的な性格ももつ。幕末には大名処罰に隠居と併科された例が多くみられる。近代では,刑罰としての謹慎は1870年(明治3)の新律綱領に士族・官吏・僧徒の閏刑として存した。…
…処罰の場合,原則として藩政には関与できないが,一般的理由なら,前藩主として時には藩政に口をはさむこともあった。初期には浅野長政のように幕府から5万石の隠居料を与えられ,子孫に相続させることができた場合,子の領地の一部を幕命によって分与された前田利常(22万石。死後藩主に戻された)の場合など,領地を与えられて老後の保障を受ける特殊な例もあったが,普通は藩主より年々一定の米金を受けて生活する。…
…すなわち,家内奴隷的性格をもつ譜代下人(ふだいげにん)の労働と,半隷属的な小農の提供する賦役労働とに依拠して,大経営が維持されていた。半隷属的小農は名子,被官,家抱(けほう),隠居,門屋(かどや)など各地でさまざまの呼び方をされているが,これらはいまだ自立を達成しえない自立過程にある小農の姿である。これらの小農は親方,御家,公事屋,役家などと呼ばれる村落上層農民(初期本百姓)に隷属し,生産・生活の全般にわたって主家の支配と庇護を受けていた。…
…彼らは家内奴隷的性格が強く,主家に人身的に隷属して終身奉公する。自給的穀作農業を営む主家の農業経営は,譜代下人の労働と,自立過程にある小農(被官,家持下人,隠居など)の提供する賦役(ふえき)とによって支えられていた。譜代下人の成因には,中世以来の主家への隷属を継承したものと,人身売買の結果として発生したものとがある。…
…生産的労働からの引退ののちも家内的・自給的生産活動は引き続き行われる。社会的地位からの引退は,とくに村落社会の公的地位,すなわち政治的・経済的諸活動にかかわる地位からの引退であり,いわゆる村隠居である。村落社会における隠居制は同一家族内における生活単位の分離であり,その時期はさまざまであって,社会的地位からの引退に直結するものではないが,ほぼ60歳前後からはこうした地位を退くのが一般的である。…
※「隠居」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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