奉書蔵跡(読み)ほうしよぐらあと

日本歴史地名大系 「奉書蔵跡」の解説

奉書蔵跡
ほうしよぐらあと

[現在地名]秋田市土崎港南一丁目

幕洗まくあらい川を隔てて壱岐守蔵の南に位置する。「梅津政景日記」元和七年(一六二一)七月二四日条に「元和七年院内銀山へ為上米」として「ほうしよ蔵御米請取候処ニ、山ニて過分ニ欠立候由」とあり、同書元和八年八月六日、七日条に「元和七年ミなとはう所御蔵白土勝助、(大)槻七左衛門御算用、今日はしめ申候」「但出役之米、舛違之由候て、(欠)米尽候間算用極不申候」とあり、また同書寛永二年(一六二五)二月一一日条に「元和九年阿仁金山へ為上米払四百五十六石六斗五升、内納弐百拾壱石八斗八升五合ハみなと御蔵分、小鹿百姓より請取、残払弐百弐十三石ハほうしやうくらより請取」とあり、湊蔵と同様収納米を納め、鉱山へ米を送った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む