デジタル大辞泉
「秋田市」の意味・読み・例文・類語
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秋田市
あきたし
面積:四五九・三一平方キロ
北は南秋田郡、東は北秋田郡と河辺郡、南は由利郡と接する。南北に連なる出羽山地・秋田平野・秋田砂丘が東から西に並び、その西は日本海。出羽山地は中山性山地で、秋田市東部にはひときわ目立つ太平山がある。出羽山地西部の秋田平野に接する地域では、標高五〇―七〇メートルの河成の段丘性台地が発達し、この地帯と西方海岸の高燥な砂丘地帯が古く人々の居住地となった。山地と砂丘の間は雄物川の本支流と北の新城川などにより埋積された秋田平野で、雄物川は土崎港で海岸砂丘を切断し日本海に注ぐ。
秋田市は出羽山地を横断し、秋田平野を南東から北西に貫流する雄物川を動脈とし、その上流部の雄勝・平鹿・仙北三郡の後背地と日本海を結ぶ接点にあり、また縦割りの地形の特色から、海岸に連なる由利・秋田・能代の諸平野を南北に結ぶ交通路との交差する地点でもある。由利への道と羽州街道、現在の国道七号(新潟―青森)と一三号(福島―秋田)、さらには国鉄奥羽本線(福島―青森)と羽越本線(新津―秋田)などの連絡は、いずれも同じ地形の条件に基づくものであるといえよう。
秋田の地名の初見は「日本書紀」斉明天皇四年四月に阿倍比羅夫水軍の東征に関し「齶田」とあり、齶田は秋田をさすといわれる。また「続日本紀」天平五年(七三三)一二月二六日条に「出羽柵遷置於秋田村高清水岡」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
秋田〔市〕
あきた
秋田県中西部,雄物川下流域にある中核市。日本海に臨み,秋田平野から出羽山地中部の太平山地に広がる。県庁所在地。1889年市制。1924年牛島町,1926年川尻村,1933年旭川村,1941年には土崎港町,寺内町,新屋町の3町と広山田村,1954年大平村,外旭川村,飯島村,下新城村,上新城村,浜田村,豊岩村,仁井田村,四ッ小屋村,上北手村,下北手村,下浜村の 12村,1955年金足村の一部をそれぞれ編入して市城を拡大。2005年河辺町と雄和町を編入。天平5(733)年高清水岡に出羽柵が置かれて出羽の国府となる。慶長7(1602)年常陸から佐竹氏が移封後,城下町として発展。市の中央部を流れる旭川を自然の堀とし,東を内町,西を外町(とまち)と呼ぶ。内町はかつての武家屋敷で,現在は商業・文教地区。外町には江戸時代からの老舗や寺院も多い。雄物川は新屋で放水されるが,ここから土崎港にいたる旧雄物川の河岸が埋め立てられて工業地区となった。河口に秋田港が築港され,臨海地域に石油,木材,非鉄金属,化学工業などの工場が立地する。雄物川流域,および支流の岩見川河岸では米作が行なわれる。北東部は国有林で占められる。秋田城跡,平田篤胤墓は国の史跡。七夕の竿灯祭は青森のねぶた祭,仙台の七夕祭とともに,東北三大祭りの一つで,国の重要無形民俗文化財。北部の太平山の南西麓一帯は太平山県立自然公園に属し,筑紫森岩脈は国の天然記念物。西部を JR奥羽本線,国道7号線が通り,福島市に通じる国道13号線の起点。中南部に秋田空港がある。面積 906.07km2。人口 30万7672(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報