日本歴史地名大系 「土崎湊町」の解説
土崎湊町
つちざきみなとまち
〔呼称の変遷と概観〕
「日本書紀」斉明天皇四年に「
土崎湊町の呼名には、秋田湊・湊・土崎湊の三通りがある。最も早く知られるのは湊で、延応元年(一二三九)の沙弥公蓮譲状案(肥前小鹿島文書)に、
として現れる。沙弥公蓮(橘公業)が奥州征伐の功により、源頼朝から与えられた秋田郡内の所領の中に湊があった。また建武元年(一三三四)の曾我太郎光高謹言上(斎藤文書)に北条氏の余党が「秋田城
室町時代末期の「廻船式目」に北国海運の七湊の一つとして秋田湊があげられる。七湊とは越前
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報