梅津政景日記(読み)ウメヅマサカゲニッキ

デジタル大辞泉 「梅津政景日記」の意味・読み・例文・類語

うめづまさかげにっき【梅津政景日記】

秋田藩士梅津政景[1581~1633]の日記。25冊。近世初期の秋田藩の政治経済社会を知る重要史料

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改訂新版 世界大百科事典 「梅津政景日記」の意味・わかりやすい解説

梅津政景日記 (うめづまさかげにっき)

出羽秋田藩主佐竹義宣の家臣梅津政景の日記。原本21巻25冊。佐竹家に献呈された巻十六下を除く24冊の原本と巻十六下の謄写本1冊が秋田県立図書館に架蔵されている。政景(1581-1633)は通称を主馬。下野宇都宮に生まれ,牢人の父に従って佐竹氏の城下常陸太田に移住。佐竹義宣に仕え,その秋田転封ののち兄憲忠とともに近習出頭人としての地歩を固めた。院内銀山山奉行,惣山奉行,勘定奉行等を経て1630年(寛永7)家老累進,秋田藩の建設に尽力した。日記は彼が院内銀山に赴任した1612年(慶長17)2月28日より,死の4日前の33年(寛永10)3月6日に至る21年間,おもに役向きのできごとを書き留めたもの。秋田藩初期の政治,とくに鉱山行政の重要史料であるとともに,初期幕藩制社会の諸様相を具体的に知りうる貴重な史料である。東京大学史料編纂所編《大日本古記録》に収録(全9冊)。
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百科事典マイペディア 「梅津政景日記」の意味・わかりやすい解説

梅津政景日記【うめづまさかげにっき】

出羽秋田藩の重臣梅津政景の日記。21巻25冊。政景は院内(いんない)銀山(秋田県雄勝町(現・湯沢市))の山奉行などを経て,1630年には家老となるなど藩の重職を歴任した。日記は院内銀山に赴任した1612年以降,1633年におよび,おもに役向きに関わる事項が書き留められている。初期秋田藩の政治・経済,とくに鉱山行政の重要史料であるとともに,幕藩制成立期の諸様相を具体的に知りうる。《大日本古記録所収
→関連項目矢立峠

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「梅津政景日記」の意味・わかりやすい解説

梅津政景日記
うめづまさかげにっき

秋田藩士梅津政景(1581―1633)の1612年(慶長17)から33年(寛永10)にわたる日記。原本25冊は梅津家に伝えられてきたが、現在24冊は秋田公文書館、他の1冊(巻16下)は千秋(せんしゅう)文庫が所蔵している。この日記は政景個人の日記で、いわゆる公用日記ではない。しかし政景は院内(いんない)銀山の山奉行(やまぶぎょう)、惣(そう)山奉行、勘定奉行、家老などを歴任した人物だけに、秋田藩の公務に関する記事が多い。原本はほとんどが政景自筆とみてよく、保存状況も良好で、秋田藩初期の政治、経済、社会などが具体的にわかる貴重な資料である。『大日本古記録』に収められている。

[福島正義]

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日本歴史地名大系 「梅津政景日記」の解説

梅津政景日記
うめづまさかげにつき

九冊 東京大学史料編纂所編 昭和二九―四一年刊

解説 慶長一七年から寛永一〇年に至る秋田藩重臣梅津政景の日記。近世初期の秋田藩政を知る基本史料。大日本古記録に所収。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「梅津政景日記」の意味・わかりやすい解説

梅津政景日記
うめづまさかげにっき

秋田藩佐竹氏の家老梅津政景の日記。慶長 17 (1612) 年から寛永 10 (33) 年までの記事を含む。政景は初め山奉行,勘定奉行であった。秋田図書館と佐竹家に分蔵,『大日本古記録』に収め,藩政確立期の重要史料。

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