日本歴史地名大系 「姫路御城廻侍屋鋪新絵図」の解説
姫路御城廻侍屋鋪新絵図(侍屋敷新絵図)
ひめじおしろまわりさむらいやしきしんえず
一七七・五×一七七・九センチ
成立 慶安二年―寛文七年
原図 姫路市教育委員会
解説 肉筆彩色画。袋書に「姫路御城廻侍屋鋪新絵図(貼紙)浄晃院様大宝院様御代」とある。浄晃院は姫路藩主榊原忠次、大宝院とは忠次の子政房で、慶安二年―寛文七年に作成された。中曲輪に侍屋敷区割と侍名が、外曲輪に侍屋敷区割と侍名と町人町名が記される。また城の西はすぐ中堀と外堀の役目をした船場川になっているため、同川の西に川に沿って町人町を形成し、さらにその西に武家屋敷・足軽町を置いて守りを固めた様子がわかる。内曲輪は空白だが、張紙に「一、三百拾五軒者 内山下侍屋敷 一、三百三拾三軒者 外山下侍屋敷 合六百四拾八軒」とある。新版「姫路市史」第一〇巻付図。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報