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武家屋敷 ブケヤシキ

世界大百科事典 第2版の解説

ぶけやしき【武家屋敷】

近世の城下町などで,武士の住まう住宅と家囲いに与えられた呼称だが,この言葉自体は近世の身分制度廃止後に使われるようになった。江戸時代の城下町には,武家屋敷町屋敷があり,武家屋敷は,幕府や藩から身分や石高によって給地されるものであった。江戸では大名と旗本,御家人に給地され,陪臣には与えられなかった。また用途によって拝領居屋敷,中屋敷,下屋敷,抱屋敷といった類別もされた。拝領居屋敷は幕府から公給される屋敷で,上屋敷ともよばれる。

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大辞林 第三版の解説

ぶけやしき【武家屋敷】

城下町において、武士が居住した家屋敷。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

武家屋敷
ぶけやしき

武士が居住する住居と敷地、およびその居住区を総称する名辞。日本の武家住宅は鎌倉時代におこり、室町時代には書院造(しょいんづくり)という武家住宅の様式を生み出したが、それが独自の様式と景観をもつに至ったのは、江戸時代、兵農分離によって武士が城下町に集居し、武家屋敷を建設してからである。[藤野 保]

町割と武家屋敷

城下町は一定の計画による町割(まちわり)によって、大名の居城を中心に、武士が居住する武家屋敷と町人が居住する町屋敷がつくられたが、町割に際しては、整然とした碁盤割の都市計画が要求されたため、町屋敷とは区画された武士専用の居住区である武家屋敷が形成された。江戸は、旗本屋敷である番町(ばんちょう)が成立し、のち神田山(かんだやま)、小川町(おがわまち)が急速に旗本の屋敷地となったが、参勤交代制の実施によって、丸の内、霞(かすみ)が関、永田町一帯は大名屋敷の市街地となった。江戸は城下町としては特殊な例であるが、一般に武家屋敷は町屋敷に比べて大きい。越後(えちご)の長岡では、武家屋敷125町に対して町屋敷は34町であり、加賀の金沢では、侍地の広さは町地に3倍し、薩摩(さつま)の鹿児島では、侍地7分に対して町地3分という割合であった。武家屋敷はその身分によって別個の居住区がつくられ、上級・中級の武家屋敷は郭(くるわ)やそれに接した市街地に、足軽など下級の武家屋敷は市街地の周辺に配置する例が多い。陸奥(むつ)の仙台では、組士以上の武士が居住する町を「丁(ちょう)」とよび、足軽・小人(こびと)・町人が居住する「町(ちょう)」と区別している。また在郷の武士は、農村に武家屋敷を散在してつくる例が多い。[藤野 保]

形式と特色

住居の形式は、普通一戸建てであるが、足軽など下級武士は、組屋敷とよばれる長屋(ながや)(二戸建てまたは連続形式の数戸建て)に住んだ。その規模は藩によってまちまちである。建築様式は、簡略化された書院造を用い、居間、寝間、台所、玄関の間のほか、座敷、書斎、茶屋などを備えている。周囲に塀を巡らして門を設け、入口に玄関をつけて町人の住む町屋敷と趣(おもむき)を異にしている。武家屋敷の特色は、武士個人の所有ではなく、藩より貸与された官舎であるところにある。そのため、武士は昇進や転任のたびに、身分に見合った屋敷へと移った。移転によって持ち運びのできる家具についても、藩によっていろいろの規定があった。明治維新後は個人所有となったが、今日、武家屋敷の様式と景観を残す旧城下町はきわめて少ない。[藤野 保]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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