デジタル大辞泉 「外堀」の意味・読み・例文・類語 そと‐ぼり【外堀/外×壕/外×濠】 城の外を囲む堀。また、二重に巡らした堀のうち、外側の堀。⇔内堀。[類語]堀・内堀・掘り割り・釣り堀 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「外堀」の意味・読み・例文・類語 そと‐ぼり【外堀・外濠・外壕】 [ 1 ] 〘 名詞 〙 城の周囲にめぐらしてある堀。また、二重に堀のあるとき、その外側の堀。⇔内堀。[初出の実例]「櫓舁げ楯密く挙げ、外堀内堀掘り廻」(出典:応仁記(15C後)一)[ 2 ] 「そとぼりせん(外濠線)」の略。[初出の実例]「外濠の電車に乗りて日一日都大路の花を見てけり」(出典:外濠〈芳賀矢一〉) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「外堀」の解説 外堀そとぼり 三重県:桑名市桑名城下外堀[現在地名]桑名市外堀柳原(やなぎはら)の西にある中級藩士の屋敷地。北は堀に面し、内堀(うちぼり)との間に長吾(ちようご)橋が通じる。江戸時代以前は堀子(ほりこ)村の一部であったが、慶長の町割の際に堀が造られて内堀と分離し、寛永一二年(一六三五)に外堀は屋敷地となった。東西が三区に分れ、北より堀端(ほりばた)町・中(なか)ノ町・南(みなみ)ノ町と分称する。中ノ町東端の小名若狭屋敷(わかさやしき)は、元禄二年(一六八九)から同六年まで幕府の囚人喜多見若狭守が幽居していた屋敷跡である。堀端町東端に真言宗金剛(こんごう)寺が宝永七年(一七一〇)から文政六年(一八二三)まであった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報