小津東郷
おづとうごう
正応五年(一二九二)の「惣田数注文」(河上神社文書)には肥前国内の荘園・幕府領が列挙されているが、現佐賀市域の幕府領として深溝南郷と並んで「小津東郷百三十三丁二反」が記載されている。竜造寺氏の本拠竜造寺村やその村内の「末吉名」(竜造寺家文書)などを含む地域で、竜造寺村が現佐賀市城内にあったと考えられることから(現在の佐賀城内西南部に竜造寺城があった)、現佐賀市城内から神野の東部地方を含んでいた(掘江神社棟木銘写・鳥居銘)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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