小畔庄・畔庄(読み)こあぜのしよう・あぜのしよう

日本歴史地名大系 「小畔庄・畔庄」の解説

小畔庄・畔庄
こあぜのしよう・あぜのしよう

小畔庄は興福寺領荘園である。寿永二年(一一八三)の興福寺政所下文(内閣文庫蔵)

<資料は省略されています>

とある。このうち、伊賀公は給主(預所)と考えられるが、そのもとにある智禅房らは名主であろう。同庄の所在は明らかでないが、高殿たかどの庄からの押領の記事からみると、同庄に隣接していたものと一応は考えられる。現地名に小畔は見当らない。また春日社領小畔庄もあった。同庄からの押領も文中にうかがえる。

寿永以後については、至徳三年(一三八六)の一乗院良昭維摩会講師段銭帳(一乗院文書)には「小畔庄二丁半」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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