小矢戸村(読み)こやとむら

日本歴史地名大系 「小矢戸村」の解説

小矢戸村
こやとむら

[現在地名]大野市小矢戸

禅師王子ぜぜおうじ山の南麓にあり、南東西大月にしおおつき村、南西大矢戸おおやと村。天文八年(一五三九)一〇月一八日の平泉寺賢聖院々領所々目録(平泉寺文書)の「矢戸村分」のなかに「小矢戸村」がみえる。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図では「矢戸村」(高一三三九・二三六石)に含まれる。正保郷帳によれば小矢戸村は田方八一五石余・畠方一六五石余。初め福井藩領、寛永元年(一六二四)以降大野藩領。

慶長三年七月一五日の小矢戸村検地帳写(酒井家文書)によると上田四二町三反余・中田六町一反余・下田二町六反余・荒田二町二反余、上畑六町八反余・中畑三町三反余・下畑一町七反余・荒畑三町余・屋敷九反五畝余であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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