日本歴史地名大系 「屋部郷」の解説
屋部郷
やべごう
天平一九年(七四七)の法隆寺伽藍縁起並流記資財帳に「平群郡屋部郷一地、東限鳥方岳板垣嶺、北限渋谷、至於保伊知比石庭、西限石庭、至大谷須疑墓、南限寺領」、建保二年(一二一四)の秦行常畠地売券(法隆寺文書)に「平群郡夜部村八条九里」とあるので、現斑鳩町大字服部付近に比定され、夜麻郷と重なるが、両者の関係未詳。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
天平一九年(七四七)の法隆寺伽藍縁起並流記資財帳に「平群郡屋部郷一地、東限鳥方岳板垣嶺、北限渋谷、至於保伊知比石庭、西限石庭、至大谷須疑墓、南限寺領」、建保二年(一二一四)の秦行常畠地売券(法隆寺文書)に「平群郡夜部村八条九里」とあるので、現斑鳩町大字服部付近に比定され、夜麻郷と重なるが、両者の関係未詳。
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