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大和国 やまとのくに

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大和国
やまとのくに

現在の奈良県。畿内の一国。大国。「やまと」は『日本書紀』では「倭」「大倭」「日本」の文字も用いられ,『続日本紀』によると天平9 (737) 年から 10年間「大養徳国」と書かれた。大和朝廷発祥の地とされ,九州と並んで早くから開けた地方であった。

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百科事典マイペディアの解説

大和国【やまとのくに】

旧国名。和州とも。畿内の一国。現在の奈良県。もと倭,大倭,大養徳などと書き,大和朝廷を構成する豪族らの本拠。都も7世紀まではほぼ奈良盆地南部の飛鳥(あすか)にあり,次いで藤原京平城京と盆地を北上,784年,山城(やましろ)国の長岡京に去る。
→関連項目池田荘近畿地方小東荘朝鮮式山城奈良[県]奈良奉行平野殿荘大和猿楽

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

やまとのくに【大和国】

現在の奈良県全域を占めた旧国名。古くは「大倭(やまと)国」と記し、737年(天平(てんぴょう)9)に「大養徳(やまと)国」と改めたが、747年(天平19)に「大倭国」に戻された。「大和国」の表記は757年(天平宝字(てんびょうほうじ)1)ごろから。律令(りつりょう)制下で畿内(きない)を形成する5国の一つで、「延喜式」(三代格式)での格は大国(たいこく)だった。国府は現在の高市(たかいち)郡高取(たかとり)町、のち大和郡山(やまとこおりやま)市今国府(いまごう)町におかれ、国分寺は奈良市東大寺で、全国の総国分寺も兼ねた。古くから大和朝廷の本拠地として飛鳥を中心に開け、中国文化や仏教を受容、飛鳥寺(あすかでら)法隆寺など多くの寺院が築造された。ついで藤原京平城京が築かれて天平文化が花開き、東大寺、興福寺など七大寺(しちだいじ)の文化が栄えた。長岡(ながおか)京平安京に遷都されたあとも、有力な社寺が多く存在し、南都とよばれた。鎌倉時代から室町時代を通して守護はおかれず、興福寺が大和を支配した。興福寺の衆徒らは武士化して勢力を伸ばし、筒井(つつい)氏、十市(とおち)氏、箸尾(はしお)氏らと相争ったが、織田信長(おだのぶなが)が平定。江戸時代には奈良奉行のほか郡山(こおりやま)藩など7藩がおかれた。1871年(明治4)の廃藩置県により奈良県となった。その後1876年(明治9)に堺(さかい)県に編入され、1881年(明治14)に大阪府下に入ったが、地元の運動の結果、1887年(明治20)に奈良県が再設置された。◇和州(わしゅう)、また倭州(わしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

やまとのくに【大和国】

旧国名。和州。現在の奈良県。
【古代】
 畿内に属する大国(《延喜式》)。添上(そふのかみ),添下,平群(へぐり),広瀬,葛上(かつらぎのかみ),葛下,忍海(おしうみ∥おしみ),宇智(うち),吉野,宇陀(うだ),城上(しきのかみ),城下,高市(たけち),十市(とおち),山辺(やまのべ)の15郡に分かれていた。大和国を地形的にみると,奈良盆地(国中),大和高原(東山中),宇陀,吉野の4地域に分かれる。奈良盆地には13郡が設置され,添上郡と山辺郡の東半部が大和高原に及んでいた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大和国
やまとのくに

五畿内(きない)の一部。近畿地方の中央やや南寄り、現在の奈良県全体を含む地域の旧名。古代には奈良盆地内のみを意味し、吉野、宇智(うち)、宇陀(うだ)、東山中(ひがしさんちゅう)は、その後に繰り込まれたが、この地が大和政権発生の本源地であることから、日本全体を意味することばともなっている。
 日本の統一政権である大和政権は、4~5世紀のころ、盆地の南東部、磯城(しき)、磐余(いわれ)、飛鳥(あすか)の地を中心として発展したが、朝鮮半島を経て中国の文化や仏教を受容(538)して以来、その基礎を固め、飛鳥文化を現出し、飛鳥寺、法隆寺など多くの寺院も建造された。その後、中国の都城制を採用して藤原京(694)をつくり、さらに北部の奈良の地に平城京(710)を築き、唐文化に倣って華麗な天平(てんぴょう)文化を開花させ、東大寺、興福寺など南都七大寺の文化が栄えた。784年(延暦3)都が長岡京、ついで平安京に移ると、奈良は南都とよばれ、皇室や藤原氏の故地として、伝統的文化を色濃く伝え、南都六宗を奉ずる仏教王国として特異な存在を続けた。なかでも興福寺は春日(かすが)神社の神威を借り、衆徒・国民などの兵力を養って他の寺社を圧迫し、国司を追放し、多数の荘園(しょうえん)を擁するに至った。かくて南都は平安末期に平家と争い、その焼打ちにより大打撃を受けたが、皇室、藤原氏、源頼朝(よりとも)らの援助によって立ち直り、やがて国内にも寺社の庇護(ひご)によって多くの地元産業を発生させた。一方吉野山には平安中期以来、修験(しゅげん)宗が興隆し、熊野地方と結ぶ宗教上の聖地となった。南北朝時代、京都の武家方に対する南朝の半世紀にわたる対峙(たいじ)は、この宗教的・経済的背景があったからである。
 室町時代に入ると、旧来大寺院の制肘(せいちゅう)下にあった各所の郷村には、地侍(じざむらい)を中心とする民衆勢力が台頭し、幕府や寺院の統制力が失われるに乗じてしだいに成長を遂げ、徒党を結び相互に争うに至った。筒井(つつい)、古市(ふるいち)、十市(といち)、越智(おち)、箸尾(はしお)などはもっとも有力なものである。やがて国内へも他の諸宗教宗派が浸潤し、中央政界の雄たる細川、畠山(はたけやま)氏、さらに下って三好(みよし)三人衆や松永久秀(ひさひで)の侵入があり、対内対外の抗争動乱の時代が続いた。しかし1568年(永禄11)織田信長が京都に進駐すると、筒井順慶(じゅんけい)は巧みにこれと提携し、松永久秀を討滅し、国内諸党をも圧服し、信長の大和代官となった。織田氏が滅ぶと大和一国は豊臣(とよとみ)政権の直轄領となり、秀吉の実弟秀長(ひでなが)が郡山(こおりやま)城に入り、河内(かわち)、和泉(いずみ)をもあわせて100万石を治めた。ついで、文禄(ぶんろく)検地では大和一国は44万石と査定された。
 関ヶ原の戦いが終わり江戸時代を迎えると、初期の大名の改易・断絶・国替を経て、国中は七大名のほか直轄領、旗本・御家人(ごけにん)の知行所(ちぎょうしょ)、寺社の朱印料など100近い給地に細分されるという複雑な支配様相となっている。しかし長い平和な時代のなかで、街道は大坂への諸道をはじめ、京街道、伊勢(いせ)街道、阿保(あお)街道、また吉野川沿いの道も整備され、それにつれて都市も、奈良、郡山、今井をはじめ八木、桜井、三輪(みわ)、丹波市(たんばいち)、田原本(たわらもと)、竜田(たつた)、高田、御所(ごせ)、新庄(しんじょう)、五條(ごじょう)、下市(しもいち)、上市(かみいち)、吉野、松山など地方の大集落も発展した。地元の産業は中期ごろからしだいに活気を呈し、米、種油、奈良晒(さらし)、木綿、材木、茶、薬種、酒、素麺(そうめん)、煙草(たばこ)、紙、葛粉(くずこ)などが生駒(いこま)、金剛(こんごう)の山脈を越え、大和川の川舟を利用して大坂その他の地方へ輸出された。奈良、吉野、長谷(はせ)寺、當麻(たいま)寺などへの観光旅行が盛行したのも中期ごろからである。後期になるとやや沈滞ぎみとなるが、伊勢参宮への数度のお陰参りも暴発的に起こっている。
 1863年(文久3)夏には天誅(てんちゅう)組が蜂起(ほうき)して、平和な国中を震撼(しんかん)させたが、概して平穏に明治維新を迎えた。1871年(明治4)まず幕府直轄領が新政府に収められ、各藩もついで廃され、一括して奈良県となった。その後76年に至り堺(さかい)県に合併され、さらに81年大阪府下に入ったが、多大の不便を生じたため、地元では独立の運動が起こり、87年奈良県の再設置が認められた。[平井良朋]

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世界大百科事典内の大和国の言及

【奈良奉行】より

…関ヶ原の戦後,はじめ大久保長安配下の奉行衆が奈良支配にあたったが,1613年(慶長18)よりかつて興福寺の被官であった中坊氏が起用され,これ以後奈良奉行の職名がおこった。しかし中坊氏の時代には,中世において大和支配の権を有していた春日社・興福寺対策にその主要な任務があり,民政上の権限は確立しておらず,また大和国内の幕領代官をも兼任するなど,制度的には過渡的な段階にあった。64年(寛文4)土屋利次の奉行就任以降,奈良奉行と代官の職掌は分離され,奈良および大和一国の民政一般を管掌するようになり,奉行所機構も整備されて制度的確立を見た。…

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