底村
ひえのそこむら
[現在地名]富士見町広原
乙事村の北方、立沢村との間にあった。天正一八年(一五九〇)の諏訪郡御検地御高帳(諏訪郡諸村並旧蹟年代記)に「高三拾六石三升 稗之底郷」とあるのを初見とする。後の天保五年(一八三四)の信濃国郷帳にも同一高にて村名の記載はあるが、実質的には、宝暦一三年(一七六三)四月の稗之底村退転始末書上(乙事共有)のとおり、正保年中(一六四四―四八)以降、生活難のため住民はしだいに立沢新田村と乙事村へ引っ越し、ついに廃村となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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