北方(読み)ホッポウ

デジタル大辞泉 「北方」の意味・読み・例文・類語

ほっ‐ぽう〔ホクパウ〕【北方】

北の方。北の方面。⇔南方

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精選版 日本国語大辞典 「北方」の意味・読み・例文・類語

ほっ‐ぽうホクハウ【北方】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 北の方。北の方角。北の方面。北の地方、国。北国。
    1. [初出の実例]「至八気播植、五才陶冶、北方之行、偏居其最」(出典:性霊集‐二(835頃)大和州益田池碑)
    2. [その他の文献]〔中庸〕
  2. [ 2 ]ほっこく(北国)[ 二 ]
    1. [初出の実例]「南鐐壱片の雲に乗じ北方へ虚空に走れば、忽ち昇平の楽国に到る」(出典:滑稽本・浮世床(1813‐23)二)

きた‐がた【北方】

  1. 〘 名詞 〙 不器用。また、知能の劣っていること。文政(一八一八‐三〇)ごろ京都祇園の花柳界で使われた隠語。
    1. [初出の実例]「北方(キタガタ) わかさより、ぶきの肴をいだすゆゑ。ぶきなといふ事をいふ符牒なり」(出典:洒落本・箱まくら(1822)中)

きた‐ざま【北方・北様】

  1. 〘 名詞 〙 ( 古くは「きたさま」 ) 北の方角。北の方面。ほっぽう。
    1. [初出の実例]「大宮の大路よりきたざまにのぼり給ふほど」(出典:宇津保物語(970‐999頃)国譲下)

きた‐の‐かた【北方】

  1. きた(北)の方

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日本歴史地名大系 「北方」の解説

北方
きたがた

南方みなみがたとともに徳島県を二分する慣用的な地域区分の呼称で、県北・県西部の吉野川およびその支流の流域一帯をさす。かつての板野いたの名東みようどう名西みようざい麻植おえ阿波美馬みま三好みよしの七郡にあたることから、芳水ほうすい七郡ともいう。「国造本紀」によれば、いまの徳島県域にはあわ国となが国の二国があったとされるが、粟国は北方、長国は勝浦かつうら川・那賀なか川流域の南方をさすと考えられている。北方はさらに美馬・三好両郡をさす上郡かみごおりと、板野・名東・名西・阿波・麻植の五郡からなる下郡しもごおりとに二分される。地形的には北から南に向かって香川県との境をなす讃岐山脈(阿讃山脈)、吉野川低地部の徳島(吉野川)平野、つるぎ山地とよばれる四国山地の主連峰に大まかに区分される。

北方では旧石器・縄文時代の遺跡は吉野川左岸(北岸)地帯に、弥生時代の遺跡は同地帯のほかに鮎喰あくい川下流域に多数分布する。古代の豪族忌部氏にまつわる伝承を残す地も多く、忌部氏は麻の栽培を行っていたとされる。さらに古代には阿波国府が鮎喰川左岸域(現徳島市国府町観音寺付近と推定)に置かれたことから、古来より北方下郡は阿波国の中心をなした。吉野川下流部では八世紀に奈良東大寺領の初期庄園新島にいじま(現徳島市)も開かれている。こうした古代から中世にかけての土地開発の痕跡として、吉野川中・上流右岸の三好郡三加茂みかも町の平地部や、板野郡板野町大寺おおてら付近の吉野川北岸、名西郡石井いしい町石井付近から徳島市国府こくふ町地区―同蔵本くらもと佐古さこ地区付近にかけての吉野川南岸に条里の地割を確認できる。


北方
きたかた

宮崎庄内の地域区分。貞和四年(一三四八)八月九日の某袖判宛行下文(土持文書)によると、勘解由左衛門尉の所領であった宮崎庄北方内和田わだ村半分が土持時栄に宛行われている。南朝方にくみした勘解由左衛門尉の所領が闕所化して北朝方に立った土持氏に宛行われたのであろう。文安三年(一四四六)一一月一五日、宮崎庄南方の奈古みなみかたのなご社に宮崎北方内の萩原はぎわらの田地一段が寄進されている(「代官祐守寄進坪付写」奈古神社文書)。文明九年(一四七七)九月一四日の祐武・俊立連署定書写(同文書)によると、南方の江良えらと北方の原之薗はるのそのが奈古社の祭礼役をめぐって争いとなり、これに対し両者が二番と四番を一年交替で勤めるように裁許している。また享禄二年(一五二九)一一月の奈古宮遷宮入用日記写(同文書)には北方代官に右松族左衛門がみえ、代官は太刀一・料足五〇〇文を送っている。

戦国期の伊東氏領の社領を書上げた弘治二年(一五五六)六月吉日の土田帳写(予章館文書)には、三宅みやけ(現西都市)福野ふくの八幡宮領として宮崎北方の萩原一段、鹿野田かのだ(現同上)慶部けいぶ八幡宮領として宮崎北方の四郎丸しろうまる門二町五段、上恒久かみつねひさの諏訪社領として宮崎北方の萩原一段、都於郡とのこおり(現西都市)河上かわかみ社領に宮崎北方一段、都於郡東隅社領として宮崎北方の萩原一段、本庄ほんじよう八幡宮(現国富町)領として宮崎北方五段、宮崎船塚ふなつか領として北方の萩原一段、宮崎の奈古社領として北方の萩原一段、加江田かえだの伊勢領として宮崎北方の萩原一段が付けられている。

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改訂新版 世界大百科事典 「北方」の意味・わかりやすい解説

北方[町] (きたがた)

岐阜県南西部,本巣郡の町。人口1万8395(2010)。濃尾平野北西部に当たる根尾川扇状地上にあり,全町低平である。戦国時代は安東氏の領地で,江戸時代には旗本戸田氏5000石の陣屋が置かれた。周辺農村の経済的中心ともなり,江戸初期は六斎市,中期以降は1・3・6・8の日の十二斎市が開かれ,米,酒,塩,魚などの取引でにぎわった。現在も第3次産業就業者が過半数を占め,商工業中心の町である。扇端部に位置するため,地下水が豊富で肥沃な低地に恵まれ,米作を中心に近郊農業が営まれる。岐阜市に隣接し通勤者も多く,近年宅地化が進んでいる。平安初期創設の寺伝をもつ円鏡寺があり,楼門,木造聖観音立像などは重要文化財に指定されている。
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北方(宮崎) (きたかた)


北方(佐賀) (きたがた)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北方」の意味・わかりやすい解説

北方
きたがた

佐賀県南西部,武雄市西部の旧町域。佐賀平野の西端にある。 1944年町制。 1956年橋下村の一部を編入。 2006年武雄市,山内町と合体。中心集落の北方は江戸時代長崎街道宿場町として発展。明治後期以降,杵島炭田の炭鉱町として活況を呈したが,石炭産業の不振により炭鉱は 1972年までにすべて閉山。 1957~72年に工場誘致をはかり,食品,機械,衣料,土木建築関係などの工場が立地。また農村部では米作を中心に多角化を進めている。北方駅近くの焼米ため池は寛政 12 (1800) 年灌漑用として鍋島氏が築いたものとされる。

北方
きたかた

宮崎県北部,延岡市西部の旧町域。五ヶ瀬川の中流域にある。 1970年町制。 2006年延岡市に編入。江戸時代は延岡藩領。産業の中心は農林業で,米作,畜産などが行なわれる。西端にある比叡山は国の名勝に指定されている。

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普及版 字通 「北方」の読み・字形・画数・意味

【北方】ほつぽう(ぱう)

北の方。〔中庸、十〕金革を衽(しとね)として死して厭(いと)はざるは北方の強なり。而して強之れに居る。

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